風邪をひいた日〜ジークの場合〜  1           

風邪をひいた日
〜ジークの場合〜


 −1−

コーセルテルが、一年で一番寒い時期を迎える頃。その日、地竜術士リュディアの家はいつもと違った
朝を迎えていた。

「むー・・・」

ベッドの中で寝返りを打ったリュディアは、小さな唸り声を上げた。
ちらりと眺めた枕元の時計。その針は、とっくに午前九時を回っている。

(・・・・・・)

ここでリュディアが眉を寄せたのには、もちろん訳がある。いつもなら、判で捺したように八時に現れて
彼女を叩き起こすはずの補佐竜が、この日に限っては姿を見せないままだったからだ。

(どうしたんだ、あいつ・・・)

初めのうちはしめしめと思っていたものの、流石に一時間経っても何の音沙汰もないと心配になって
くる。それが気になって、のんびり朝寝を楽しむこともできない。
こうしてこの日、珍しいことにリュディアは自分からベッドを出ることになったのだった。

「おーい、ジーク・・・。」

身支度を整えて一階へ下り、台所を覗く。いつもならこの時間、完全に補佐竜のテリトリーと化している
はずのその場所は、今朝に限っては人気もなくしんと静まり返っていた。自分が起き出してくる頃には
準備万端整えられているはずの朝食も、その影も形もない。
・・・どうやら、事は重大らしい。

「・・・ジーク?」

ふと、台所の隅に人の気配を感じたリュディアは、伸び上がるようにしてそちらを覗き込んだ。そこに
あったのは、果たして壁にもたれかかるようにして座り込んでいる彼女の補佐竜の姿だった。
慌ててその傍へと駆け寄ったリュディアは、相手の肩を掴むと大声で呼びかけた。

「おい、ジーク! しっかりしろ!」
「あ・・・師匠、ですか・・・?」
「こんなところで、何やってんだよ!」

肩を揺さぶられたジークリートが、のろのろと顔を上げる。その顔は、傍目にも分かるほど真っ赤
だった。

「あれ・・・? 確か、朝食の準備をしようと・・・。・・・今、何時ですか・・・?」

ずり落ちた眼鏡を直しながら、ジークリートが訊いた。しかし、その口調には普段の鋭さが全くない。
相手の額に触れたリュディアが、素っ頓狂な声を上げた。

「お前・・・すごい熱じゃねえか! どうしたんだ一体!!」
「・・・・・・。昨日、体育の授業で汗をかきまして・・・。・・・その後、ちゃんと着替えをしなかったのが、
いけなかったかと・・・。それに、昨日は課題で寝るのが遅くなってしまいましたし・・・」

ここで、自らの発した“課題”という言葉に、ジークリートは思い出したように顔を上げた。

「ああそうだ、学校に・・・行かないと。」
「バカ言ってるんじゃねえ! こんな状態で、外出なんてさせられるか!」
「しかし、師匠・・・」
「しかしもカカシもねえ! おらっ、病人はベッドで休むんだよ!」

しばらく逡巡した後、ジークリートは渋々頷いた。腕組みをして相手を睨み付けていたリュディアが、
それを見て表情を和らげた。

「よし。・・・一人で立てるか?」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「ええ、まあ・・・なんとか。」

しばしの間、見つめ合う二人。やがて、相手の意図するところを悟ったらしいジークリートが、よろよろと
立ち上がった。



ジークリートとリュディアの身長差は、優に一リンク以上ある。これほどの差があっては、相手に
「肩を貸す」のは不可能だ。また、地竜の助けを借りることのできない地竜術士は、ただの人間と
そう変わりない。女性としてはかなり逞しい方のリュディアだったが、自分より頭一つ大きい
ジークリートを背負って二階の部屋まで運ぶことには、いくらなんでも無理があった。・・・それが
分かったからこそ、ジークリートは自力で自室へ戻る道を選んだのだった。
崩れ落ちるようにして自分のベッドに横になったジークリートに向かって、拳を握り締めたリュディアが
言う。

「何か、アタシにできることは? そうだ、朝メシまだなんだろ? おかゆでも作ってやろうか。」
「・・・では、師匠。お言葉に甘えて、一つお願いが・・・」
「おう! 何でも言ってくれ。」
「エディスさんにお願いして、風邪薬を作ってもらってください。・・・今すぐに、一刻の猶予も無しで。」

苦しい息の下から、ジークリートは即答した。
もちろん、リュディアの気持ちは涙が出るほど嬉しかった。しかし、現実はそれほど甘くはない。
教える相手もいないのに、普段はしたこともない料理が上手くいくはずがない。あの短気な性格と
相まって、盛大に鍋を焦がすのが関の山だろう。・・・少なくとも、まともに自分が食べられる物が
出てくる可能性は皆無に等しい。ここは、気持ちだけもらっておくのが一番だろう。

「よし! 風邪薬だな!」

しかし、ジークリートの真意には気付かなかったらしいリュディアは、勢いよく頷くと部屋から駆け出して
いった。しばらくして、威勢よく玄関の扉が閉まる音が家中に響く。

(やれやれ・・・)

どうやら、長い一日になりそうだ。
目を閉じたジークリートは、程なくして深い眠りへと引きずり込まれていった。


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