風邪をひいた日〜アルルの場合〜    2       

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五年ぶりの竜都は、やはり懐かしいものだった。庭園の中にある道をゆっくりと辿りながら、アルルは
深呼吸をした。

(ここは・・・変わらないな。ユーニスがいたときと、何も・・・)

一言で「宮殿」と言っても、その規模は壮大だった。城壁は全周およそ四リーグにも達し、その
内部には竜王の間や竜王の竜術士の居室のある本殿を初め、様々な建物が“庭園”の中に
散らばっている。
宮殿の面積のほとんどを占める“庭園”は、かつてこの地に宮殿が造営されることになった際、そこに
存在していた自然をほぼ手付かずのまま残したものだった。鬱蒼とした森もあれば、泉や小川・・・
果ては小さな滝までが存在している。一歩城壁の外に出れば、世界一の大都市であるロアノーク
市街の喧騒が耳に届くようになるのだが、その中にあって・・・庭園に抱かれた宮殿はいつも静かで
穏やかだった。そのことが、長い間離れてみると殊更に身に沁みる。

(さてと・・・)

この日、宮殿に足を踏み入れたアルルが最初に向かったのは、宮廷警備を担う衛兵たちの営舎
だった。
兵たちの営舎、そして練兵場は城門警備の都合上、大手門のある宮殿の南端近くに位置していた。
ちなみに、海に面した北側にも大きな門があり、この二つが宮殿への主な出入り口として機能して
いる。

「兄さん。久しぶり。」
「・・・おう、おまえか。」

練兵場に足を踏み入れたアルルは、果たしてお目当ての人影を見付け、そちらへと歩み寄りながら
声をかけた。
壁に寄りかかり、木刀を抱えた状態で衛兵たちの訓練風景を眺めていた相手は、アルルの声に
振り向いた。口元に白い歯が零れる。

「ずいぶんと、久しぶりになるな。・・・相変わらず、里は忙しいのか?」
「まあね。四六時中宮殿に入り浸ってる、どっかの族長様とは違ってね。」
「こいつ・・・。」

早速一つやり込められ、苦笑いを浮かべたミリオがアルルに尋ねる。

「そういや、エリカはどうした? あいつに連れてきてもらったんだろ?」
「姉さんとは、城門のところで別れたよ。書庫に行くって言ってたけど・・・」
「ヴィスタんとこか。ま、多分フェルムもそこだろうから・・・ちょうどいいか。」
「あ、フェルムももう来てるんだ。姉さん兄さんに、僕とヴィスタとフェルム。ああ、近衛隊隊長コンビは
ここにいるわけだから・・・これで全員揃ったってわけだね。」
「まあな。あとは、主賓の到着を待つだけさ。」

“主賓”と表現された、竜王アイザックと先代の竜王の竜術士ユーニスの実の息子アステル。そもそも、
今日ここにこうしてアルルたちが集まることになったのは、これも久しぶりに竜都に戻ってくるという
アステルと会うためだった。
アステルが宮殿を去り、メクタルのチェルヴィアに赴いてから今年で五年。向こうでの仕事も忙しい
らしく、事実今回がやっと二度目の里帰りということになる。

「ところで、さ・・・。」
「なんだよ、その笑いは。」

話が一段落したところで、アルルが陰のある笑いを浮かべた。それを見て、ミリオが心持ち身構える。

「訊くのも野暮なような気がするんだけどさ。兄さん・・・我らが最強の弟君には、その後一回か
勝ったのかい?」
「・・・・・・。」
「そっか、やっぱりね。まあ、真昼間からこんなところで隙を窺ってるんだし、ちょっと考えれば
分かるよね。あはは、ごめんごめん。」
「・・・・・・。」
「それにしても、兄さんも大概執念深いよね。その無駄な根性をさ、他の事に使ったらさぞかし有名に
なれたんじゃない? いやー、世の中ってうまくいかないもんだね。」
「・・・まったくよ。こんなチビのどこがいいんだか・・・」

したり顔で頷いているアルルの様子に、苦り切った表情でそっぽを向いていたミリオがぼそりと呟いた。
それぞれが成竜として長じた後、アルルは宮廷中の女官たちの人気の的となった。それこそ木竜だけ
ではなく、ありとあらゆる種族の竜から竜術士、果ては宮殿を訪れた各国の要人まで相手は様々。
勢い余った相手に求婚されることもしばしばで、その全てをアルルは笑って断ったものだったが・・・
傍らで、その様子を歯噛みしながら見ていたのがミリオだった。
元々、ミリオは自分の容姿には自信を持っていた。兄弟姉妹の中では一番の長身で、趣味である剣の
ために日頃から鍛え上げている鋼のような肉体は、それを仕事にしているノクトに勝るとも劣らない。
野性的な魅力に溢れた風貌に、男らしく覇気のある言動。・・・まあ、実際他人の目にどう映るかは
ともかく、本人はそう頑なに信じているのである。
それに対して、七人の中では一番小柄なアルルは、兄弟の中では最も「男らしさ」からはかけ離れた
存在だった。確かに美形で、また抜群の頭脳の持ち主ではあったが、剣も遣えず体力的には女子供と
そう大差ない。物腰は基本的に穏やかで、荒っぽいところは微塵もなく・・・それがミリオにとっては
「キザで軟弱な奴」と感じられるのだ。
そんな相手に、こと色恋沙汰に関しては長年後塵を拝し続けている。兄としての意地もあり、このことが
ミリオにとってはどうしても納得がいかないことの一つなのだった。
どうやら、ミリオの呟きはアルルの耳にも届いていたらしい。輝くような笑みを浮かべ、弟は兄に
向かって自分の頭を人差し指で叩いてみせた。

「ウドの大木って諺、知ってるよね? 大事なのは外見じゃなくて、ここさ、ここ。」
「けっ。相変わらず、口の減らねえやつだ。」
「口より先に手が出る兄さんよりはよっぽど―――――」

言いかけた途中で、アルルは顔を歪めると大きなくしゃみをした。こちらも顔を顰めたミリオが、顔の
前で手を振る仕草をした。

「なんだよ、ひょっとして風邪か?」
「うーん・・・。実はさ、最近体の調子があまり良くなくてね。」
「頼むから、うつさねえでくれよ。オヤジはもちろんだけど、今日は遠くからアステルも帰って
くるんだし。」
「心配は要らないよ。何とかは風邪をひかないって言うじゃないか。」
「・・・それは、オヤジとアステルのことも言ってるのか?」
「訊くだけ野暮―――――」

ここまで言ったアルルは、再び横を向くと立て続けに二度くしゃみをした。その様子に、苦虫を
噛み潰したような様子だったミリオが、幾分心配そうな顔になった。

「おいおい、本当に大丈夫か?」
「の、はずなんだけど・・・。おかしいな。」
「顔も赤いみてえだし。熱でもあるんじゃねえか・・・?」
「あ、ばれた? 実は、今日も朝からちょっと熱っぽくてさ・・・。」
「なんだよ、本当にあるのかよ。・・・熱冷ましなら、フェルムにでも頼んでよ―――――」
「やめてよ。どうせ、そこら辺中水浸しになるのが関の山だろ。」
「だったら、それはそれでよ。アステルが帰ってくるのは、どうせ夕方だろう。それまで時間もあるし・・・
どこかで休んどいた方がいいんじゃねえか? せっかくみんなで会うんだし、具合が悪いんじゃお互い
盛り上がらねえだろう。」
「そうだね。・・・そうするよ。」

兄の言葉に、アルルは素直に頷いた。小さく手を挙げ、練兵場の出口に向かって歩き始める。
その後姿に向かって、ミリオのからかいを含んだ言葉がかけられた。

「・・・ったく、年がら年中女のケツを追いかけてるからだ。これに懲りて、ちっとは身を慎めよ。」

それに対する返事は、大きなくしゃみの音だった。


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