Peppermint Kiss〜ジークのエイプリルフール〜
プロローグ
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エピローグ
−1−
その日、地竜のジークリートはいつになく機嫌が悪かった。
毎度のことながら、師匠であるリュディアの学習効果のなさには、いつもうんざりさせられる。特に、
それが自身に直接降りかかってくるとなれば尚更だ。
(く・・・)
左のこめかみに手をやったジークリートは、立ち止まると思わず顔を顰めた。そこには、昨晩できた
ばかりの大きなコブと切り傷があった。
その場で応急処置は済ませたものの、それが原因なのか・・・この日は朝から、しつこい頭痛が彼を
悩ませている。そしてそれが、ジークリートの苛々の原因になっていた。
(首から上の怪我は堪えると聞いたことがあるが・・・あれは本当の話なのだな)
気を取り直して歩き始めたジークリートだったが、その唇はへの字に結ばれたままだった。
それにしても、一緒に暮らすようになって五年である。・・・一体、いつになったら師匠の酒癖の悪さは
直るのだろうか。
こうして、補佐竜である自分が痛い目に遭っているうちはまだいい。自分の気持ち一つで、笑い話で
済ませることもできる。
しかし、他の竜術士や・・・その子竜に累が及ぶようになってからでは遅いのだ。そろそろ、“禁酒令”の
ような荒療治が必要なのかも知れない。
(・・・・・・)
鬱々とこんなことを考えながら歩いているうちに、ジークリートは目指す木竜術士エディスの家の前に
辿り着いた。いつもより、少し手荒にドアを叩く。
「ごめんください。」
しばらくの間、そのままドアの前で待つ。しかし、しんと静まり返った家の中からは物音一つ聞こえない。
(留守・・・なのか?)
諦めてジークリートがドアに背を向けようとした瞬間。
「きゃあああああ!!」
家の中から甲高い悲鳴と、何か重いものが床に転がり落ちる大きな音が聞こえた。
(!?)
どうやら、一大事のようである。
ドアに手をかけ、急いでエディスの家の中に踏み込んだジークリートの目に最初に飛び込んで
きたのは、玄関前のホールに倒れているアルフェリアの姿だった。どうやら、階段から足を
踏み外して落ちたらしい。
「おい・・・おいアル! 大丈夫か!?」
「う・・・?」
「頭を打っていたら大変だ・・・。おーい、エディスさん!! エル!!」
アルフェリアを抱き起こしたジークリートが、大声で家の主を呼ぶ。
ぼんやりした目でジークリートのことを見つめていたアルフェリアが、はっと気付くと顔を真っ赤にした。
続いて、ジークリートのことを力一杯突き飛ばす。
「きゃあっ!」
「!?」
よろけたジークリートは、一瞬ぽかんとした表情を浮かべかけた。しかし、真っ赤な顔で自分のことを
睨み付けているアルフェリアを目にして、すぐに頷いた。
一応、アルフェリアも年頃の女の子には違いない。男である自分に予期せず身体を触られれば、
驚きもするだろう。
「あ・・・ああ、済まない。思わず。」
「あ・・・ううん、ごめん。こっちこそ・・・」
(「ごめん」・・・?)
予期せぬ言葉に、ジークリートは心の中で首を傾げた。
年がら年中周囲へのイタズラに余念がなく、「転んでもただでは起きない」の代名詞である木竜兄妹が
素直に謝るということはまずない。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
二人の間に、なんとなく気まずい沈黙が漂った。そのまま、時間だけが過ぎていく。
(アル・・・?)
この日のアルフェリアの様子は、明らかにいつもと違っていた。
普段であれば、人の顔を見るなり好き放題のことを言い出すはずのアルフェリアが、この日に限っては
黙ったまま。それも、胸の前で手を合わせ、頬をピンク色に染めたまま自分の横顔をうっとりと
見つめている様子なのだ。そのくせ、こちらが目を向けると慌てて目を背けてしまう。
(な・・・なんだ?)
こうやって意味深な態度を見せられると、こちらまでドギマギしてしまう。
そっぽを向いたジークリートは、わざとらしく咳払いを一つすると立ち上がった。
「しかし・・・他には、誰もいないのか?」
「あ・・・うん。エディスは朝から往診で、エルと遠くへ出かけてる。」
竜術士の本来の仕事は、預かった子竜を一人前に育て上げることである。しかし、実際にはそれ
以外の“副職”―――――多くの場合、それは北大陸でのかつての生業と深い関係がある―――――
に携わることも少なくない。昔は医者だったというエディスは、こうしてコーセルテルでも医術に関わって
いるのだ。
「そうなのか。帰りは、いつになりそうだ?」
「うーん・・・。多分、夕方になると思うんだけど。」
「参ったな・・・。」
アルフェリアの答えに、ジークリートは頭を掻いた。
師であるリュディアが二日酔いで呻いているのは今この瞬間であり、頼もうと思っていた薬はそれを
和らげるためのものだ。放っておいても一日もすれば調子は良くなるはずで、夕方になってから薬を
作ってもらってもあまり意味がないのだ。
「ねえ、ジーク。もしかして、エディスに用事なの?」
「ああ。いつも通りの“野暮用”だったんだが・・・エディスさんが留守では、ここにいても仕方ないな。」
「あ、待って!」
立ち去りかけたジークリートを、アルフェリアが呼び止めた。
「その用事って、木竜術が必要なんでしょう?」
「ああ、まあ・・・そうだが。」
「じゃ、あたしも一緒に・・・」
「何だって?」
「これから、ジークは他の人のところへ行くんでしょう? でも、木竜術を遣える術士がいても、木竜が
いないとできることは限られちゃう。あたしにも何か、手伝わせて欲しいの。」
この木竜兄妹が、真面目な顔をしたときには必ず裏がある。
今まで二人のイタズラに散々痛い目に遭ってきたジークリートは、そのことを知り過ぎるほど知って
いた。となれば、返事は最初から決まっている。
「アル。折角だが―――――」
「そっか・・・。あたし、信用されてないもんね。・・・今までのことがあるし、無理もないよね。」
「当たり前―――――」
いつものように、容赦なく決め付けようとしたジークリートは、アルフェリアが大粒の涙を浮かべている
ことに気付いて愕然とした。
これが演技ならば、それこそ空恐ろしい限りだが・・・とてもそうは見えない。となれば、一体これは
どういうことなのか。
(まさか・・・本気なのか?)
どうやら、相手を傷付けてしまったらしい。ならば、そのことは謝らなければならないだろう。
混乱しながらも、根が真面目なジークリートは律儀に詫びの言葉を口にした。
「ああ・・・いや。・・・無闇に疑ったりして、悪かった。」
「いいの。本当の、ことだし・・・」
「いや、そのようなことはない。できれば、力を貸して欲しい。」
「本当!? 嬉しい・・・!」
アルフェリアは、涙を拭いながらにっこりと笑った。その曇りのない笑顔に、ジークリートも思わず
赤くなる。
「ちょっと待ってて。今、用意をしてくるから・・・」
「ああ。」
嬉々として立ち去るアルフェリアの後姿を見送りながら、ジークリートは首を捻った。今日のアルフェリア
はいつになく素直で、本当に同一人物なのか疑いたくなるような豹変ぶりだったからだ。
(一体これは・・・どういう風の吹き回しなんだ?)