Peppermint Kiss〜ジークのエイプリルフール〜
プロローグ
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2
3
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エピローグ
−4−
(・・・・・・)
しばらくして、小さく溜息をついたジークリートが言った。
「兄というのも、楽ではないのだぞ?」
「え?」
振り向いたアルフェリアに、ジークリートは頷いてみせた。その目元には、微かな笑みが湛えられて
いる。
「両親や、里の皆の目もそうだ。長男だから、家を継ぐものだからと・・・多くのものを期待され、それが
当然だと思われる。・・・重荷ではないと言えば、嘘になるだろうな。」
「ふーん。ジークでも、そう思うことがあるんだ。」
「ああ。・・・それに、私には妹がいる。いざという時は、妹のことを守ってやる必要もあるしな。とかく、
兄というのは大変な役割なのさ。」
「でも・・・アトリちゃんはあたしと違っていい子じゃない。」
「まあ、それはそうなんだが・・・」
複雑な表情を浮かべ、ジークリートは言葉を濁した。
「私が今日、お前の家を訪れた本当の理由を、まだ話していなかったな。・・・昨日の夜、私の家で
ちょっとした宴会があったんだ。」
「宴会?」
「ああ。招かれたのは、私の妹であるアトリと、その術士のノエルさんだった。・・・私たち兄妹の術士
同士ということで、“親睦を深めるため”という名目の下、およそ月に一度の割合でこの宴会は開かれて
いる。実際のところ、師匠にとっては単なる酒を飲む口実なのだろうが―――――」
「でも・・・それって、いいことだと思うけど?」
「まあ、親睦を深めること自体は、私にも異存はない。問題は・・・師匠とノエルさんの酒癖が、揃いも
揃って非常に悪いということだ。」
「リュディアさんの話は、噂で聞いてるけど・・・ノエルさんもなの?」
「そうだ。昨日はそれが、特にひどかった。」
頷いたジークリートが、遠くを見るような目をした。
「師匠は、見事な“絡み上戸”だ。自分の気に入らないことには何でも文句を言い、二の句の代わりに
拳が出る。」
「・・・・・・。でも、ありがちと言えば、ありがちなんじゃ・・・」
「もちろん、それが師匠にとって日頃のストレス解消の一助となっているのならばと、私もこれまで目を
瞑ってきた。しかしな。皿に向かって“丸いのが気に食わない”と言い出して、挙句の果てにそれを
自分の補佐竜に投げ付けるのはどうかと思う。」
「まさか! いくらなんでもリュディアさんだって―――――」
「証拠もある。ほら、これがそうだ。」
と、ジークリートが自分の前髪を持ち上げてみせる。その左のこめかみには、かなりの大きさの
切り傷があった。
「皿が当たったとき、その破片で切ったんだ。血が出ているのに気付いたときは、流石の私も少し
びっくりしたがな。」
「ちょっ・・・ジーク! ひどいケガじゃない、早く手当てしないと・・・!!」
「手当てはしてある。大したことはない。」
青くなって腰を浮かせかけたアルフェリアを制すると、ジークリートが話を続ける。
「話が逸れてしまったな。・・・一方のノエルさんは、極度の“泣き上戸”なんだ。何を言われても自分が
悪い、済みませんと・・・もう土下座して泣きっ放しさ。それを見た師匠がケチを付け・・・という
悪循環だ。放っておけば、間違いなく怪我人が出る。」
「でも、それならアトリちゃんがうまく―――――」
「残念だが、アトリは酒には全く耐性がない。まだ若いのだから仕方ないのだが・・・匂いを嗅いだ
だけでふらふらになり、しかも酔っている間の記憶は全く残らないと来た。」
「・・・・・・。」
「昨日だってそうだ。酒が足りないと怒鳴った師匠に向かって、笑いながら酒樽を投げ付けようとしたん
だからな。一歩間違えば大惨事になるところだった。」
ぞっとしない表情を浮かべたアルフェリアに向かって、ジークリートは小さく肩を竦めてみせた。しかし、
その仕草にはどこかおどけた様子が見える。
「・・・そんな三人を、日頃から相手にしているんだ。いかに苦労が多いか分かるだろう。しかしこれも、
“兄だから”皆の面倒を見なければならないと・・・どうしても考えてしまうんだ。やはり苦労症なのか
私は。」
自分の悩みを、これまで他人に打ち明けたことはなかった。相談できる相手がいなかったということも
あるが、何より・・・そのことにあまり意味を見出せなかったからだ。長い間、一人自分で耐えるしか
ないと思い続けてきた。
しかし、このときは自然と言葉が口をついて出ていた、という感じだった。そしてそれは、悪くなかった。
「だから、私は逆に・・・弟や妹といった気楽な立場の者が羨ましく思うんだ。これも、“隣の芝生は青い”
ということなのだろうか。」
「そうね。ふふ・・・あたしたち、もしかしたら似た者同士だったのかも。」
「ああ・・・そうかもな。」
顔を見合わせた二人は、やがてどちらからともなく笑い合った。
「ね、ジーク・・・その額の傷だけど。」
「ん?」
「よかったら、あたしに手当てさせてくれないかな。」
「お前・・・が?」
「うん。今日は、あたしのせいで色々と迷惑かけちゃったし・・・せめてもの、お詫びの印に。」
「ああ・・・。では、お願いしようか。」
普段なら間違いなく断っていたであろうこの提案を、ジークリートはあっさりと受け入れた。バンダナを
解き、アルフェリアの方を向いて目を閉じる。・・・それは、相手を心から信頼した証だった。
「うん!」
嬉しそうに頷いたアルフェリアが、ジークリートの額の傷に手を当てるとその木竜術を発動させた。その
効き目は見事なもので、朝からあれほどジークリートを悩ませていた頭痛までもが、見る間に消えて
いく。
本来、術力には恵まれている二人なのだ。木竜特有のイタズラさえなければ、友人としてこれほど
頼りになる存在もないだろう。
(普段から、このように素直ならいいのだが。そうすれば、エディスさんもきっと報われるだろうに・・・)
―――――ちゅっ。
いつも兄妹に苦労させられている木竜術士のことを考え、ジークリートがふっと笑った刹那。不意に、
額に柔らかいものが触れた。
「アッ・・・アル! 今のは・・・」
「えへへ。今のは、傷が早く治るおまじない。」
「おまじない、ってお前・・・!」
自分でも、顔が真っ赤になっていくのが分かる。早鐘を打つような心臓の鼓動が、アルフェリアにも
聞こえてしまいそうだ。
(アル・・・お前・・・)
恥ずかしそうに微笑むアルフェリアの顔は、ジークリートのすぐ横にあった。半ば無意識のうちに
そちらに手を伸ばし、ジークリートがその肩を抱き寄せようとした・・・そのときである。
背後から聞こえた、どさり・・・という音。反射的に振り向いたジークリートは、そのまま凍り付いた。
(!?)
そこに立っていたのは、テラだった。足元には大きな麻袋が落ちており、どうやら先程の音はその袋を
取り落としたときのものらしかった。
二人を睨み付けているテラの肩は、小さく震えていた。それに気付いた瞬間、ジークリートは全てを
悟った。・・・一部始終を、見られてしまったのだ。
「あっ・・・あのな、テラ。今のは、その、別に・・・」
何はともあれ、誤解は解かなければならない。
こうして、しどろもどろになりながらも弁解を始めたジークリートだったが、逆にその様子がテラの癇に
障ってしまったらしい。
「せっかく・・・せっかく、ひとが心配して・・・ッ!!」
「だから、これはその・・・違うんだ!」
まずい。非常にまずい。それははっきりと判るのだが、慌てれば慌てるほど頭が真っ白になり、言葉が
出てこなくなる。
「ジークなんて、大っ嫌い!! いーーーっだ!!」
「テラ、聞いて―――――」
「もう知らないッ!!!」
「おい、テラ!!」
なおも言い募ろうとしたジークリートに向かって、ここでテラは大声で怒鳴った。くるりと踵を返すと、
二人をその場に置き去りにして駆け去っていく。
(あぁ・・・もう、おしまいだ・・・)
こうして、丘の上に向かって手を差し伸べた恰好のまま固まったジークリートは、やがてその場に膝を
つくとがっくりと項垂れたのだった。