天使のささやき
プロローグ
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エピローグ
−3− (真竜暦377年)
町の中央には、小さな噴水があった。
その縁石に腰かけた僕は、夕闇に染まる町並みを眺めながらリンゴをかじっていた。
このリンゴは、家を出るときに母さんが手渡してくれたものだった。その甘酸っぱさが、疲れた体に
沁み渡っていく。
(・・・・・・)
初めて見る町は、驚くものばかりだった。
数え切れないほどの人に、店先に並べられたたくさんの商品。
本でしか読んだことのなかったものが、ここでは現実に目の前にあった。
始めのうちは、そうしたものを見て回るのがただ楽しかった。でも、次第に僕は後ろめたい気分に
なった。
落ち着いて考えると・・・やっぱり、父さんや母さんに悪いことを言っちゃったな、と思う。
そうさ・・・もし、僕のことが嫌いだったら、今まで育ててくれたりするもんか。
父さんや母さんが教えてくれないことには、何かちゃんとした理由があるんだ。
・・・意地になってそのまま家を飛び出してきた僕の方が悪い。
帰って、二人に謝らなくちゃ。そして、今度はみんなでここに来るんだ。
(そろそろ、帰らないと・・・)
縁石から腰を上げた僕の目の前を、数人の男の人たちが通り過ぎた。みんな同じような身なりをして、
油断なく辺りに目を配っている。
本で読んだことがあった。確か、こういうのを「自警団」って言うんだ。
僕の視線に気付いたのだろう。そのうちの一人に声をかけられた。
「君は、一人かい?」
「はい、今から家に帰るところです。」
「そうか。それならいいんだが・・・最近は物騒だからな。あまり遅くまで、外にいてはいかん。」
「そうですね。」
「家はどこだね? 遠いなら、送っていってあげよう。」
「えーと・・・」
(・・・あれ?)
「・・・どうしたね?」
笑顔で答えようとした僕は、そのまま顔を強張らせた。
僕は、一体どこに住んでいたんだろう。
父さんや母さんの名前は。どんな顔で、どんな人だったのか。
いや・・・それどころか自分の名前すら思い出せない。
今朝まで・・・いや、確かについさっきまでは覚えていたはずなのに。
「う・・・」
混乱した僕は、頭を抱えてその場にうずくまった。
なぜ、僕はこんなところにいるんだろう。
これから、一体どうしたらいいんだろう。
何一つ思い出せなかった。後に残ったのは、深い絶望だけだった。
「うそだ・・・こんなっ・・・!!」
「おい、大丈夫か・・・?」
「父さん! 母さん! ・・・お願い、助けて!」
「しっかりしろ! おい、手を貸してくれ!」
「う・・・うわあああああああ!!」