天使のささやき
プロローグ
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エピローグ
−4− (真竜暦377年)
「良かったのか、これで。」
朝から玄関脇の柱にもたれかかったままのエルフィートに、ジークリートが声をかけた。その声に、
ゆっくりと振り向いたエルフィートは、僅かに頬を歪めてみせた。
「・・・仕方ないだろ。」
「しかしな。・・・まるで、追い出すみたいに・・・」
「だって、どう説明するんだい。僕らは竜で、君とは違う生き物ですって・・・真顔で言うのかい?」
「それでも・・・記憶まで消す必要があったのか? もし、あの子がここに戻ってきたくなったら・・・」
「そんなことはないよ。・・・いや、あっちゃいけないんだ。人間は・・・やっぱり、人間と一緒に暮らす
べきだよ。」
自分に言い聞かせるように頷いたエルフィートの様子に、ジークリートも黙り込んだ。
しばらくして、再びエルフィートが口を開く。
「それに、もしあの子が・・・竜と暮らしていたなんてことが分かったらどうするんだい。竜を探してる
人間に見つかったら、タダじゃすなまいよ。・・・シーザに聞いたけど、僕らのような“はぐれ竜”は、
竜狩りの対象になりやすいんだろう?」
「確かにそれはそうだ。本国でも、南大陸を離れる際には、くれぐれも注意するようにとの通達をこの前
出したばかりだ。」
「だからさ。僕たちのことは、忘れた方が幸せになれるはずさ。」
「しかし・・・それならそれで、竜術士にする手もあったはずだ。資質は・・・あったんだろう?」
「よしてくれよ。そんなことを期待して、あの子を育ててきたわけじゃない・・・。」
「・・・・・・。」
「あの子が・・・男の子でよかったよ。女の子だったら、もっと・・・」
遠い目をしたエルフィートは、そこで言葉を途切れさせた。
ジークリートが、こんなに憔悴したエルフィートを見かけるのは、実はこれが二度目だった。
いつもはふざけたことばかり口にし、年がら年中“邪笑”を浮かべているはずの木竜兄妹が・・・初めて
見る影もなく沈み込んだのは、彼らの術士エディスの死のときだった。
テラの竜王への復帰を見届けるようにして、エディスはこの世を去った。その後、二人は宮廷から・・・
いや、南大陸からさえも姿を消したのだった。その居場所を知っているのは、テラを初めとする
同期生の面々だけだった。
(エル・・・)
言葉の接ぎ穂を失ったジークリートは、ここで溜息を一つつくと眼鏡に手をやった。
「分かった。あの子については、もうとやかく言うまい。お前たちがそう決めたんだから、それでいいの
だろう。」
「・・・・・・。」
「それで・・・いつ、こちらに戻ってくるつもりだ?」
「・・・は?」
「“は?”ではない。私は、真面目に言っている。」
もともと明るいはずの二人が、ここまで沈み込むのは余程のことなのだろう。目を離したら、何をするか
分からなかった。それなら、宮廷で忙しくしていれば、少しは気も紛れるに違いない。
「お前たちのような優秀な人材を、こんなところに埋もれさせておくのは、国の大きな損失だ。テラは
何も言わないが、多分同じことを考えていると思うんだ。心の整理がついたら、戻ってきてくれないか。」
「心の整理? ・・・一体、何を整理するっていうんだ。」
「・・・お前たちがここに住み続けていたのは、あの子のことがあったからではないのか?」
エディスが死に、二人が竜都を離れると決めたときも・・・ジークリートは心配で気が気ではなかった。
だが、人間の子供を拾ったことで、二人は見違えるように明るくなったのだった。
その子を失った今、二人は再び心の支えを失った。ジークリートは、こんな状態の二人を置き去りに
したまま帰ることはできなかった。
「エディスが死んで・・・もう十年以上経つんだ。いい加減立ち直ってくれないか? 宮廷では、お前
たちがエディスの死を、怠ける口実にしていると言っている者も―――――」
「おい、ジーク!!」
次の瞬間、ジークリートは玄関脇の壁に叩きつけられて目をぱちくりさせた。
学生時代からついぞ暴力沙汰には訴えたことのなかったエルフィートが、ジークリートの襟首を掴み、
そのまま壁に向かって突き飛ばしたのだ。
「君まで・・・言っていいことと悪いことがあるだろう!?」
「いや・・・私は・・・」
「見損なったよ! 君たちだけは・・・僕らの本当の気持ちを、分かってくれていると思った
のに・・・ッ!!」
「エル・・・」
顔を真っ赤にしたエルフィートは、その目に大粒の涙を浮かべていた。それを目にした瞬間、
ジークリートは自らの失言を悟った。
「テラが、リカルドに死なれて里に引きこもったとき。・・・正直、何でそこまで・・・と思ったわ。」
不意に背後から聞こえてきた沈んだ声に、二人はそちらを振り向いた。
そこに立っていたのは、こちらも朝から家に籠もり切りだったアルフェリアだった。傍らには、心配そうな
表情のルクレティアが付き添っている。
「でも、自分の身に起こってみて初めて分かることってあるのよ。」
「・・・・・・。」
「・・・いや、それだけじゃない。」
ジークの襟首から、ようやく手を離したエルフィートが言う。
「テラのときは、事故だった。不可抗力だった・・・。」
「・・・?」
「でも、エディスの場合はどうなんだ! ・・・僕らが、エディスに負担をかけすぎたせいじゃ
ないと、誰が言い切れる!?」
三人の方を振り向いたエルフィートの瞳には、後ろめたさから来る涙が滲んでいた。
「普通は一人しか預からないはずの子竜を、二人同時に預かった。それも、とんでもなくイタズラ好きの
・・・竜王になってさえ、その癖が抜けなかったような二人をだ!」
「・・・・・・。」
「今際の際も・・・エディスに教わった木竜術は、何の役にも立たなかったわ・・・。」
アルフェリアの言葉を最後に、辺りには気まずい沈黙が漂った。
しばらくして、エルフィートがぽつりと呟いた。
「多分、僕らのせいなんだよ。」
「エル! そんな・・・!」
「いや。・・・木竜は、術士を不幸にするんだ。」
「それは・・・」
「もう、放っておいてくれ!」
否定の言葉を口にしようとしたルクレティアとジークリートに向かって、拳を握り締めたエルフィートは
吐き捨てるように怒鳴った。
しばらくの間、どうしたものか分からない様子で木竜の二人を交互に見ていたジークリートは、やや
あって頷くと乱れた襟元を直した。そして、そっぽを向いたままのエルフィートに真面目な調子で声を
かけ、次いで素直に頭を下げる。
「さっきは、済まなかった。あれは私の言い過ぎだった・・・この通りだ。」
「・・・・・・。」
「だが、“放って置いてくれ”というのは受け入れられん。お前たちは、私の・・・かけがえのない友人なの
だからな。きっと、テラや他の同期生たちもそう思っているだろう。」
「・・・・・・。」
「また、寄らせてもらう。」
「・・・勝手にしろ。」
降り出した雨の中、家を後にする二人を見送っていたエルフィートは、いつの間にか隣にアルフェリア
が立っているのに気が付いた。
しばらくして、アルフェリアは消え入るような声で呟いた。
「ねえ、エル・・・。」
「なんだ?」
「・・・あの子を拾ったのは、間違いだったのかな・・・?」
「アル・・・。」
「こんな思いをするんなら・・・いっそ・・・」
「あの時、連れて帰ろうと言い出したのは僕だ。・・・だから、責任は僕にある。」
「エル・・・」
涙を一杯に溜めた目で、アルフェリアはエルフィートを見上げた。そんなアルフェリアを、エルフィートは
しっかりと抱き締めた。
「もうよそう。あの子は・・・行ってしまったんだから。」
「でも・・・でもっ・・・!」
「アル・・・泣くなよ。これで・・・これで、よかったのさ・・・。」
嗚咽するアルフェリアの背中を、エルフィートは優しく撫でた。その間も、雨は益々その激しさを増して
いく。
(エディス・・・僕たちは、どうすればよかったんだ?)