世界の果てまで
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(うーん・・・やっぱり、外の空気は気持ちいいぜ!)
風に乗って飛翔しながら、ロッタルクは満足そうに呟いた。
竜王となり、一日の大半をその任務によって拘束されるようになった今、この「空中散歩」の時間は
彼にとって貴重なストレス発散の機会となっていた。竜王が毎日宮廷から脱走するなどというのは
本来言語道断な話なのだが、彼の性格および種族を考慮して周囲はある程度見て見ぬふりを
しているのだった。
もちろん、仮にも竜王という大事な立場にいる彼が、供も付けずにただ一人で外を出歩くというのは、
どう考えても好ましいことではない。国境を接し、元来あまり仲の良くない魔獣族との間には小競り
合いが絶えず、ここ数年は小康状態にあるとは言え不穏な情勢であることに変わりはなかった。
竜であること、ましてや竜王であることは隠しておくのに越したことはなく・・・従って、外出時には
竜人の象徴である耳と角を隠せるよう、ロッタルクは大きなバンダナ(今日は毛糸の帽子である)を
頭に巻くのが常であった。
コーセルテルを出たロッタルクは、風の向くまま北西へと向かった。
ほどなくして、彼の目は一台の豪華な馬車を捉えていた。特徴的なそのデザインと魔獣族の護衛の
存在から、その所属は容易に知れた。
(間違いない・・・あれはエリオットの、それも王宮の馬車だ・・・。あの様子だと乗ってるのは王族
なんだろうが・・・こんな時期にこんな場所でか?)
季節はもうすぐ冬。立ち枯れた木々の間を、馬車はかなりの速さで駆け抜けていった。その切羽
詰った様子は、何かに怯えていることを窺わせるのに充分だった。
(ふん・・・面白い。ちょっくら見物と行くか・・・)
上空から馬車と一定の距離を取り、その後を追うロッタルク。
やがて馬車が小さな渓谷に差し掛かると・・・待ち伏せをしていたのであろう、周囲からばらばらと
十数騎の騎兵が現れた。
こういった展開を予想していたロッタルクにとって、唯一つ予想外だったのは・・・襲撃してきた騎兵も
また、魔獣族だったことである。
(ウソだろ!? 同族の・・・それも王族のはずだろ、どうなってんだ!?)
数騎しか付けられていなかった護衛は見る間に討ち取られ、襲撃者は動きの止まった馬車を
隙間なく取り囲んだ。そしてまさに、馬車に向かって槍が打ち込まれようとしたその瞬間・・・白刃が
煌き、馬車の天蓋が吹き飛んだ。
(!? 人間の・・・女!?)
残った台車に立っていたのは、どうやら人間族の女のようだった。
先端で束ねられた漆黒の長い髪、頭をすっぽりと覆う深い紫色のバンダナ・・・まだ若いその女は
油断なく小脇に槍を抱えていた。華奢な見かけとは裏腹に、その構えには隙がない。どうやら、
馬車の屋根を吹き飛ばしたのも本人の仕業らしい。
当初の衝撃から立ち直った襲撃者が対象に殺到する。しかし槍の長さと速さが物をいい、瞬く間に
馬車の周囲には返り討ちにあった魔獣族の死体が転がった。
(・・・危ねぇ!)
形勢不利と見た生き残りのうちの数騎が、槍での攻撃を諦め、鞍につけていた小弓を構えている
のにロッタルクは気が付いた。威力のない小弓には、毒矢が使用されるのが常であるのだが・・・
狙われている本人は、前方の敵と対峙し背後の動きに気が付いていない。
矢が放たれるのと、それをロッタルクの風竜術が弾き飛ばすのはほとんど同時であった。風は
鎌鼬と化してそのまま襲撃者を襲う。背後で上がった悲鳴に反応して女が振り向き、その隙に
襲撃者の生き残りは逃走していった。
「大丈夫か・・・危なかったな?」
馬車の残骸の方へ歩み寄るロッタルク。台車から飛び降りた女は、ロッタルクを見ると噛み付くように
こう怒鳴った。
「馬鹿者! 余計なことをしおって!!」
「へ?」
「おぬしのお蔭で、数人取り逃がしてしまったではないか! もう少しで全滅させられたものを・・・!」
「お・・・おいおい、あんた本気で言ってんのか!? 前後からの挟み撃ちだったんだぜ? それに
あれはどう見ても毒矢・・・」
「やかましいわ! 背後で矢を構えていることくらい気付いておったわこのたわけ!!」
女は槍をロッタルクの鼻先に向かって突きつける。
「それに、わらわの名は『あんた』ではない!!」
「・・・じゃあ、何て言うんだ?」
と、女の勢いに呑まれていささか間抜けな返答をするロッタルク。女は槍を退くと、わざとらしく嘆息
して見せた。
「かーっ、これだから田舎者は困るのじゃ! どこだか知らんが、おぬしの国では女に先に名乗ら
せるのか!?」
「あ、ああ・・・そうだったな。オレはロ・・・」
「ろ?」
ハッとして口を噤むロッタルク。
竜王には、二つの名がある。一つは“竜王”として長老たちに授けられる公式の名前、そしてもう
一つは竜人化の際に竜術士に付けられる名前である。いつもの習慣で反射的に前者を使おうと
したロッタルクは、すんでのところでそれを思い出した。相手の正体が分からない状態では、自分が
竜王であることを明かしてしまうのはまずい。
「いや、・・・アルカードだ。」
「ふん・・・けったいな名前じゃの。」
「ほっといてくれ。・・・で、あんたは?」
女はそっくり返ると、こう名乗った。
「・・・レティシアじゃ! 覚えておくがよい。」