Day by day  プロローグ  1        エピローグ

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木竜のニーディアは、バスケットを片手に道を急いでいた。
季節は春から夏になる頃・・・一年で一番気持ちのいい時期である。木々を渡る爽やかな微風が
彼女の長い髪をなびかせる。
バスケットの中には、木竜の里で採れたとっておきの野菜。そして、頼まれていた薬草の類が
山盛りになっていた。

(今日も・・・喜んでくださるといいけれど)

普段は寡黙な彼が笑顔になってくれることを想像するだけで、知らず知らずのうちに頬が緩んでしまう。
ともすればスキップしそうになるのを抑えつつ、ニーディアはさらに先を急ぐのだった。
なだらかな丘を回り込んだところで、街道を外れるとこんもりとした林の中へと分け入る。傍から
見ると、何の変哲もない普通の雑木林・・・だが、一歩その中に足を踏み入れた途端林の映像は
溶けるように消え去り、代わりに一軒の古びた館がニーディアの前に姿を現した。
光竜術による隠蔽。彼がコーセルテルでも里でもない場所で長い間誰にも見つからずに過ごして
こられたのは、これのお蔭だった。
館に着いたニーディアは、正面玄関の方へ回った。館の内部はひっそりとして人の気配はなかったが、
ニーディアはこの館にもう百年以上も一人の竜が住んでいることを知っていた。

「セーファス様、私です。」

玄関の扉をノックし、自らの名を名乗るニーディア・・・しかし、いくら待っても反応がない。不審に思った
ニーディアが試しに扉を押してみると、いつもは鍵がかけられているはずのそれが、今日に限っては
あっさりと開いたのだった。

「・・・セーファス様?」

輝くような外の世界の様子とは対照的に、館の内部は暗く陰気だった。館の中に入り、後ろ手に扉を
閉めたニーディアは、暗さに目が慣れるまでその場にじっとしていた。

(・・・?)

徐々に暗さに慣れてきたニーディアの目に最初に飛び込んできたのは、玄関入ってすぐのホール
中央に倒れている光竜のセーファスの姿だった。その傍らには、研究データと思しきたくさんの紙が
散らばっている。

「セーファス様!? ど・・・どうなされました!?」
「は・・・」
「は?」

バスケットを床に置き、慌ててセーファスに駆け寄るニーディア。抱き起こしたセーファスの脈を取ろうと
したとき、その腹が盛大に鳴る。

「腹が・・・減った・・・」
「はあ!?」

(もう・・・びっくりさせて!)

それを耳にしたニーディアは、安堵から床に座り込むと思わず笑い出したのだった。


  *


「いや、済まないな。一人だと中々こちらまで手が回らなくてな・・・。」
「どうせ今回も、徹夜でお食事も摂らずにいらしたのでしょう?」
「そうだ。・・・もう三日になるかな。」
「そうだと思いました。もう少し、体を大事になさってください。」

食堂で向かい合った椅子に腰を下ろしながら、ニーディアはセーファスの予想通りの答えに溜息を
ついた。

(もう・・・少し目を離すと、すぐに無茶なさるんだから!)

セーファスには、何かに没頭すると文字通り「寝食を忘れる」という悪い癖があった。“研究”が完成に
近付いている今、その頻度は以前に増してずっと高くなっている。いくら竜が人間に比べて丈夫だと
いっても限度があった。

「でも、さすがに三日間はやり過ぎです。これを召し上がられたら、少しでもお休みになっていただか
ないと・・・」
「休むだと? 何を言っている、私にはそんなことをしている時間はないのだ。これ以上彼女を待たせる
訳にはいかない。」

光竜セーファス(崎沢彼方さん作画)

言葉の途中で、セーファスは視線を自らの研究室へと向けた。そこには、この五十年というもの、
セーファスがありとあらゆる手段を尽くして蘇らせようとしている最愛の竜術士が未だに眠り続けて
いる。

「食べ終わったら、すぐにでも続きにかからないとな。済まないがニーディア、君にも色々と手伝って
貰う・・・」
「いけません。私がお手伝いすることに異論はありませんが、このままではセーファス様が倒れて
しまわれます。」
「駄目だ。君に何と言われようと、私は研究に・・・戻る・・・」

ここまで言うと、セーファスは椅子に座ったまま眠り込んでしまった。食事に混ぜられていた木竜特製の
「眠り薬」が効果を発揮したのだ。

(まったく・・・こうでもしないと、絶対に休んでくださらないんだから・・・)

ニーディアは小さく肩を竦めると、用意しておいた毛布をセーファスにそっとかけた。
テーブルの上を手早く片付け、使い終わった食器を一まとめにして重ねる。掃除を初めとして、この
広い館の家事は全てニーディアがやらねばならなかった。セーファスが目覚めた後は彼の“研究”の
手伝いをする必要もある・・・急がねばならなかった。
腕まくりをし、台所へと向かいかけたニーディアはそこでふと立ち止まると、眠り込んでいるセーファスの
方を寂しげな目で見やった。

(今日も、呼んでくださらなかったわね・・・)

木竜ニーディア(崎沢彼方さん作画)

ニーディアがこの古びた館へと足を運ぶようになってから、既に百年以上の時が流れていた。一度
だけ、ニーディアは勇気を振り絞ってセーファスに訊いたことがあった・・・「なぜ、いつまで経っても
自分のことを愛称である“ニーダ”と呼んでくれないのか」と。
だが、彼の返事は実にそっけないものだった。

『なぜ、その必要がある? 呼び方が変わったところで、君は君・・・そして私は私だ。そんなことで
思い悩んでいる暇があったら、研究に集中してくれ。』

恐らく、セーファスに悪気はなかったのだろう。昔から・・・そう、コーセルテルにいた頃から彼はこういう
ことに疎く、セーファスを憧れの的にしていた少女竜たちをがっかりさせてきたものだった。
結局、この言葉はニーディアの胸に突き刺さったままだった。あれ以来同じことは訊けないでいる。

(やっぱり、セーファス様の心の中には・・・まだあの人が・・・)

光竜術士クレア。セーファスの育ての親である彼女は、凄腕の錬金術師だった。
この大きな館も、元はクレアの持ち物だったという。まだ若い身空でここまでの成功を収めた彼女が、
なぜ全てを捨ててコーセルテルに来ることになったのか・・・ニーディアは知らされていなかった。
長年の無理な研究スケジュールと、有毒な薬品にその身を晒し続けたことによって、クレアの体は
ボロボロだった。術士になったのも束の間、五年も持たずに彼女はこの世を去ってしまった。そして、
後にはセーファス一人が遺された。
鈴を振るような、透き通った声。それは、今でもニーディアの脳裏に鮮明に焼きついている。

(あれから・・・もう、どのくらいになるのかしら・・・)

優れた剣の腕前を買われ、本来なら光竜の里の守長になるはずだったセーファスが、あっさりとその
椅子を蹴ったのはクレアの死の直後だった。目的は、クレアの専門でもあった錬金術を究め、それに
よって彼女を蘇らせること。頑として譲らないセーファスに業を煮やした族長たちによる会議が開かれ、
どうした訳か例外的にそれは許されることになった。
もちろん、光竜であるセーファスにそうした知識や技術があるはずがない。こうして、その補佐として
選ばれたのが、木竜きっての術力を誇る竜医ニーディアだったのだ。
幸い、竜には人に比して五倍もの長い時間が用意されている。セーファスの弛まぬ努力とニーディアの
効果的な木竜術による補佐によって、百年以上の時を経た今、その目的は達成されようとしていた。

(・・・・・・。もう、やめよう・・・)

過ぎ去ったことを思い出していても始まらない。
こうして小さく首を振ると、ニーディアは台所へと向かったのだった。


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