ずっとそばに  プロローグ    2      エピローグ

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こうして、フェルテがノアと暮らし始めてから十年目の夏の初め。ある嵐の晩、それはやってきた。
居間で燭代の仄かな光の下漁具の手入れをしていたフェルテは、嵐の音に混じって玄関の扉がノック
される音を聞きつけた。

(こんな嵐の晩に訪ねてくるなんて、物好きもいるものね・・・)

夜は魔が支配する時間。そうした考えが村人たちの間には浸透しているため、日が落ちてから外出
する者は極めて稀なはずだった。ましてや、嵐の晩ともなれば尚更である・・・不審に思いながらも、
フェルテは燭台を持つと玄関に向かった。

「はーい。」

扉を開けたフェルテの前に立っていたのは、意外にも小柄な女性だった。そろそろ中年に差しかか
ろうかというその女性は、フェルテを見て少し驚いた表情を浮かべた。

「あの・・・どなたですか?」
「こんな遅くにごめんなさいね。・・・この近くに、ミランダさんという人が住んでいないかしら?」
「それは、あたしの母さんの名前だけど・・・」
「じゃ、あなたがフェルテさんね?」

なぜあったこともないこの人が、母のことはおろか自分の名前まで知っているのだろうか。不審そうに
自分のことを見つめるフェルテに向かって、相手はにこやかに微笑んだ。

「やっぱり、よく似てるわね! 最初、ミランダが若返ったのかと思ってびっくりしたのよ。」
「あの・・・どうして母のことを? あなたは・・・?」
「あ、言うのが遅くなって。私はステラ。あなたのお母さんとは・・・そうね、同じ仕事をしてたって言えば
近いかな。先日やっと跡継ぎが独立したから、晴れて引退したってわけ。」
「はあ・・・。」
「それで、一番の親友だったあなたのお母さんの顔を久々に見ようと思ってここまで来たのよ。」
「そうですか・・・。とりあえず、入ってください。」
「ええ、ありがとう。」

フェルテは、ステラを家に招き入れた。木造で簡単な造りの家である・・・勧められた椅子に腰かけ、
家の中を見回していたステラは、しばらくしてくすっと笑った。

「ふーん・・・ミランダは、こんな家に住んでたのね。道理で!」
「え・・・?」
「あなたのお母さんはね、石造りの建物が嫌いでね。『夏は暑くて冬は寒い』ってよく文句を言ってた
のよ。」
「それは・・・その、仕事先の?」
「そうよ。・・・ところで、肝心のミランダは? 元気にしてるの?」
「母は・・・死にました。十年前に。」
「うそ・・・!」

ステラは両手を口に当て、驚きに目を見張った。

「十年前・・・ってことは、ミランダが故郷に帰ったすぐ後じゃないの!」
「はい。戻ってきた母は、半月もしないうちに・・・」
「最後に会ったとき、随分やつれて見えたけど・・・そうだったの。隠してたのね、病気だってこと・・・。」

一人こう呟いたステラは、目を伏せたフェルテに向かって申し訳なさそうに詫びた。

「ごめんなさいね、辛いことを思い出させてしまったかしら。」
「あ、いえ・・・。」
「それじゃ、今は? お父さんとお二人かしら?」
「父も・・・母の後を追うように、一年後に。今は・・・」

とフェルテが寝室の方を振り返ったとき、当のノアが寝巻き姿で顔を出した。

「フェルテ、お客さま・・・? ・・・話し声が聞こえて・・・」
「あ、ノア。うん、母さんの古い友達の方で・・・ステラさんよ。」
「へえ。こんばんは、初めまして。」
「ふふ、かわいい弟さんね。ノアさん・・・と言うの?」
「ノアは弟じゃないんですけど・・・まあ、似たようなものかな。」
「えー、勘弁してよ。フェルテの弟なんて・・・」
「なんですって?」
「いや、何でもないよ。」

こんな二人の他愛のないやり取りをにこにこしながら聞いていたステラだったが、近付いてきたノアの
姿が蝋燭に照らされて目に入った瞬間、その顔色ははっきりと変わった。

「まさか! ・・・なんでここに竜がいるのよ!」
「え? あの・・・」
「フェルテさん! この子とはどうやって出会ったの? 教えてちょうだい!」
「え・・・えーと、母さんが持って帰ってきたものの中に、大きな卵があって・・・」
「なんてこと・・・信じられないわ。」

しばらくの間ノアと顔を見合わせていたフェルテは、やがてステラにおずおずと問いかけた。

「あの・・・さっき、“竜”って。ノアは、本当に竜なんですか?」
「ええ、正真正銘の竜・・・水竜よ。おかしいわね・・・今まで、どうしてこのことが問題にならなかったの
かしら。」
「問題・・・って?」
「あなたはミランダの娘さんなんだし、話しても問題はないわね。」

真剣な面持ちになったステラはフェルテの方に向き直った。

「・・・竜には、各種族ごとに『里』と呼ばれる場所があって、そこで一族全てが暮らしているの。そして、
その中で必要な知識を得たり、竜術を学んだりすることで一人前の竜になるのが普通なんだけど・・・
産まれた卵が里の外へ出るなんてことは普通ないのよ。ましてや、竜術士でもない人間の元へはね。」
「竜術・・・? あ、母さんの持ってた本にあった・・・あれ、本物だったんだ!」
「そう、竜が使う力のことを総称して『竜術』と呼んでいるの。あなたのお母さん・・・ミランダは水竜術士
だったわ。」
「じゃあ、ステラさんも・・・。」
「ええ、私は風竜術士・・・もう“元”だけど。だから、こんなところまで一人でやって来れたのよ。」

ここまで話したステラは、椅子から立ち上がると身支度を始めた。

「こうしちゃいられないわ、私は一度水竜の里へ行ってこのことを族長に話してくるから・・・そうすれば、
この子の両親が分かると思うわ。それに、今後のことも決めないといけないし。」
「今後のこと?」
「ええ。あなたは竜術士じゃないから、当然この子に竜術を教えたりはできないでしょう? それなら、
一時的に離れて暮らすことになるけど、ちゃんとした術士について術を習った方がいいと思うわ。
そうじゃないと、この子は一生何もできないままになってしまうでしょう。」
「そんなこと、急に言われても・・・」
「もちろん、それはそうよね。しばらくしたら、また来ることにするわ。それまでに、これからどうするのが
二人にとって一番いいのか・・・よく相談しておいてちょうだい。」

こう言い残すと、ステラは慌しく家を出ていった。その後姿を見送っていたフェルテの服の裾を引っ張る
ノア。

「ねえ、フェルテ・・・あのおばさんが言ってたことは本当なの?」
「言ってたこと・・・って?」
「ぼくに本当の父さんや母さんがいるとか、ここから離れなきゃいけないとか・・・」
「そうねえ。どうもそうみたいだけど・・・。」

フェルテはノアの前にしゃがみ込んだ。

「あんたは、どうしたいの? もしあの話が本当なら・・・。」
「ぼくは、どこにも行きたくない。・・・フェルテと一緒にいたいよ。」
「そう? でも、一人前になれるって言ってたわよ?」
「術なんて使えなくてもいい。今までもずっとうまくやって来たじゃない・・・これからも、きっとできるよ。」
「・・・ありがとう。そう・・・そうよね、そう言って諦めてもらおっか。」

にっこりしたフェルテは、半べそをかいたノアを優しく抱きしめた。だが、その一方でフェルテは漠然と
した不安を感じてもいたのだった。


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