ずっとそばに  プロローグ          エピローグ

 −エピローグ−

フェルテは、海に出ていた。
嵐の名残で海は荒れ模様だったが、なぜか彼女の小さな船の周囲の海面は鏡のように滑らかだった。
そして、行く手を阻む波が次々に消えていく。
いつもの小さな船には、他に人影が一つ。フェルテは、自分の後ろに立っていた水色の髪をした少年に
向かって笑いかけた。

「すごいじゃない!! さすがね、・・・」

そして、相手の名前を呼ぼうとした瞬間・・・全てが暗転した。


  *


「・・・・・・。」

ベッドの上に身を起こしたフェルテはしばらくの間、ぼんやりと寝室の窓から外の景色を眺めていた。
何だか、長い夢を見ていたような気がする。今のは何の夢だったのか・・・よく覚えていなかったが、
何だかとても幸せで・・・そして切ない夢だったような気がした。

「おはよう・・・」

ベッドから降り立ち、台所の入り口にある簾をくぐる。いつものように朝の挨拶をしてしまってから、
フェルテは苦笑いをした。今、この家には彼女一人・・・返事をしてくれる相手は既にいないのだった。

(なんか、調子出ないな・・・)

見た目はいつもと変わらない朝、そして家のたたずまいだった。だが、注意して見ると家のそこかしこに
自分ではない“誰か”の暮らしていた跡が残っているのだった。きれいに片付けられた台所、そして壁に
かけられている花柄のエプロンとミトン・・・だが、それが使われることももうない。

(この家って・・・こんなに広かったっけ・・・)

周囲を見回していたフェルテは、居間の片隅に置かれていた花瓶に目をとめた。活けられていた
花は、この南の地では絶対にお目にかかれないはずの風鈴草・・・だが、その可憐な花も、連日の
熱気によって既にしおれかけていた。

(・・・・・・)

この花を育て、フェルテに贈ってくれたのは一体誰だったろうか。しばらく花瓶を見つめていたフェルテ
は、やがて花をそっと手に取ると家を後にした。もうすっかり明るくなった空には雲一つなく、今日もいい
天気になりそうだった。

(そうだ、ここでいつも振り返って・・・)

家からしばらく行ったところで玄関を振り返る。だが、この九年間必ずそこにあったはずの笑顔は、
フェルテの脳裏に浮かんだ幻影でしかなかった。振りかけた右手をのろのろと下ろすと、フェルテは
また歩き始めた。
村の中心にある桟橋まで来ると、花を持ったままフェルテは水平線を眺めた・・・そして、しばらくして
からその場にしゃがみ込み、そっと花を海に流す。沖の方へ流れていく花を見ながら、フェルテは
ポツリと呟いた。

「名前は思い出せないけど・・・一緒に暮らせて楽しかったな。」

笑顔だったが、その頬にはいつしか涙がとめどなく流れていた。分かっていたのだ・・・もう、二度と
会えないことは。

「もう・・・あたしの声は届かないけど。そう・・・」

ここまで言うとフェルテは立ち上がり、涙を拭うと空を見上げた。遠い、北の空を・・・。

(心の中では・・・ずっとそばにいるからね・・・)

潮騒の音。海面の照り返し、そして水平線から立ち上る入道雲。どれも、いつも見慣れたもののはず
だったが・・・涙で滲んだ目に映るそれは、何だか初めて見るもののようだった。
夏は、まだ始まったばかりだった。


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