GARDEN PARTY  1             

GARDEN PARTY


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突然の、友からの手紙だった。

「はぁ、はぁ・・・くそっ!」

暦の上では、今日から火竜の月。一年で、最も暑さが厳しい季節である。
既に真夏の太陽は中天に懸かり、容赦ない陽の光が辺りに降り注いでいる。

(ちくしょう・・・! 俺は、山登りに来たんじゃ・・・ねえんだぞ!)

気息奄々となりながら、腰の高さまである草を掻き分けて進む。額の汗を拭ったヴェインは、心の中で
毒づいた。
何しろ、道がない。「道らしい道がない」といった可愛いものではなく、言葉通り獣道すら見当たらない。
まさに“人跡未踏”とはこのような状態を言うのだろう。
背負っている大きな鞄には、命の次に大事な商売道具・・・包丁を初めとした種々の調理用具と貴重な
調味料、そして街で手に入れた高価な舶来のワインが収められている。今となってはその重さが
恨めしく思えるが、やはり料理には自分の手に馴染んだ道具を使いたかった。

「・・・ったく、それにしてもよぉ・・・。・・・あいつ、なんつートコに住んでんだよ。こんなんで、他に誰か
来んのかよ・・・。」

届いた手紙の内容は、簡潔だった。「結婚することになったので、婚礼の料理を頼みたい」。ただ、
それだけだった。
音信不通になってから、もう五年以上は経っているだろうか。そんな相手が、どうやって今の自分の
所在を知ることができたのか。
他にも、知りたいことはいくつもあった。今は、どこで何をして暮らしているのか。結婚の相手は、一体
誰なのか。そして・・・何故今になって、自分に会いたいと言ってきたのか。

「かなわねえな、この暑さ・・・。・・・ま、寒いよりはマシだけどよ。」

やっとのことで草むらを抜け出したヴェインの前に、小さな丘が現れた。それを迂回するようにして
進むと、遠くに一本の大樹が聳えているのが目に入った。

「お・・・アレか?」

ポケットから地図を取り出し、ヴェインはそれに目を落とした。届いた手紙に同封されていた地図に
よると、この辺りに“目印”となるイチョウの巨木があるはずだった。

「ふー・・・。」

やっとのことで木陰に辿り着いたヴェインは、背負い鞄を下ろすと中から水筒を取り出した。中身を
一気に呷り、その幹に寄りかかる。

(でけーイチョウだな・・・。・・・銀杏、とれっかな?)

梢を見上げ、ぼんやりとそんなことを思う。汗に塗れた全身に、木陰を吹き抜ける風が心地よい。
アルバ料理では、銀杏は珍味として珍重される。しかし、その特有の臭いから、街ではイチョウの木は
嫌われ者だった。そのため、街路樹としてその姿を見ることは稀なのだった。

(・・・・・・)

目を閉じたヴェインは、辺りの物音に耳を澄ました。吹き抜ける風によって鳴る木の葉、鳥たちの
鳴き交わす声。・・・思えば、こうしてのんびりと自然の音に耳を傾けるのも、随分と久しぶりのような
気がする。

ヴェインは、パルミ随一のアルバ料理店として名高い『龍仙閣』の料理人だった。まだ若年ながら、
その恵まれた才能と弛まぬ努力によって頭角を現し、三十歳を前にして既に店の主力の一角を
占めるまでになっていた。
しかし、そうした急激な“出世”は、当然ながら他者の妬みや嫉みの原因となる。特に、古くからの
伝統を重んじることを第一と考える料理長と、何事にも新しい考え方を取り入れようとするヴェインとの
関係は、決して良くはなかった。
そして、今回の手紙だった。
一週間後に迫った友の婚礼。休暇を願い出たヴェインに対して、当然のことながら料理長はいい顔を
しなかった。火竜の月は世界的に休暇の期間であり、観光地であるナーガはこの時期一年で最も
人出が多くなる。それはつまり、『龍仙閣』も一年で最も忙しくなるということであり、この時期に
料理人が減るのは店にとって大きな痛手となるのだった。
ここに来て、ついに二人の対立は表面化した。「どうしても休みたいのなら、ここを辞めてもらおう」と
いう売り言葉に買い言葉で、ヴェインが料理長に向かって辞表を叩き付けてきたのが、つい昨日の
こと。
幸い、数年は食うに困らないだけの蓄えもある。思えば、学校を卒業してから今まで、毎日脇目も
振らず料理だけに打ち込んできた気がする。しばらくは、のんびりと世界を巡り、様々な料理に
触れるのもいいだろう。

(学校か・・・懐かしいな)

“学校”。懐かしい言葉に、ヴェインはふっと笑みを浮かべた。
パルミには、様々な分野の言わば“職人”を育てるための専門の学校があった。今回の手紙の主、
アベルとはそこで知り合った仲だった。
画家を目指しているというアベルと、料理人の道を志していたヴェイン。初対面から妙に馬の合った
二人は、すぐに親友となったのだった。

(結婚・・・か。あいつ、その気があったのか・・・)

二人は同い年だった。学生の気楽さもあって、あの頃は自分も随分と派手に遊んだものだったが・・・
不思議とアベルについてはそうした話は聞かなかった。
実際、学校内でもアベルは一二を争う色男であり、その明るく気さくな性格もあって周囲の女生徒
たちの人気の的だった。それなのに、浮いた噂の一つもないというのは、確かにおかしい気がする。
既に心に決めた相手がいるのだとか、実は女より男に興味があるのだとか・・・当時も口さがない
友人たちが、色々と噂していたものだった。

(ま、いいさ・・・)

ヴェインが佇む木陰を、涼しい風が吹き抜けていく。いつの間にか汗も引き、ささくれていた気持ち
までもが解されていた。

「んじゃ・・・行くか。」

立ち上がったヴェインは、傍らに置かれていた背負い鞄を持ち上げた。
この鞄は、家族の中で唯一、料理人になりたいと言った自分を後押ししてくれた祖父の形見だった。
勘当同然で家を出て、もう十年近くになる。今頃、故郷の家族はどうしているだろうか。
地図を片手に、足元に気を付けながらゆっくりと歩く。目的地までは、もう半リーグもないはずだった。

(それにしても・・・)

誰が描いたのか、地図は恐ろしく正確だった。こうした山深い土地の場合、距離一つをとっても正確に
測ることは至難の業であると、学校時代にヴェインは耳にしたことがあった。
まるで、空から見たままを描いたような地形の起伏。一般に「鳥瞰図」と呼ばれるこうした地図を
作るには、膨大な量の測量記録と豊かな想像力、そしてかなりの絵の腕前がなければならない
はずだった。
それだけではない。地図の所々にある注意書き・・・その場所から見える風景や飲用に適した水場、
そして風の通り道といったものは、余程この地に詳しい者でなければ知り得ることができないはずの
ものだった。お蔭で、この地に初めて足を踏み入れたヴェインも、ここまで迷うことなく辿り着けたのだと
言える。

(お・・・?)

歩くこと、およそ一時間。再びヴェインが暑さにげんなりしてきた頃、ようやく目的地と思しき家が
見えてきた。
こんもりとした森に抱かれるような恰好の、木造の一軒家。周囲には僅かだが、柵を巡らした畑らしい
部分もあり、ここに人が暮らしていることはどうやら間違いないようだった。

(よし)

地図をポケットにしまったヴェインは、鞄を背負い直すと家の玄関に向かって歩み寄っていった。




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