GARDEN PARTY
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「ふう・・・。」
運んでいた水桶を台所の床に下ろし、ヴェインは大きな溜息をついた。
アベルの言葉通り、勝手口から出てすぐのところに小さな井戸があった。いざ料理に取り掛かった際、
途中で水汲みに出掛けるのは現実的ではない。そのため、台所に置かれていた大きな甕を予め水で
満たすべく、こうしてヴェインは井戸と台所を往復しているのだった。
驚いたことに、この暑い中にも拘らず、井戸は手が切れそうな冷たい水を湛えていた。井戸だけでは
ない。思えば、この家の中も外に比べて妙に涼しい気がする。・・・もしかしたら、竜たちの使う不思議な
“力”が働いているのかも知れない。
(もう・・・何が起こっても、驚かねえよ・・・)
時間が経つにつれて、少しずつヴェインにも状況が飲み込めてきた。
アベルは、あのシゼリアという竜と結婚するのだという。そして、それを祝うために、シゼリアの友人で
あるという竜たちが、この家に集まることになっているのだ。
シゼリアの見せた、あの不思議な術。瞬時に違う場所へと移動できる手段があるのなら、この家が
こうした辺鄙な場所に建てられているのも頷ける。いや、その場合はむしろ、他の人間たちの目を
避けるために、人里離れた場所で暮らす方がいいはずだ。
幸いにも、竜たちは自分をどうこうするつもりはないようだった。それならそれでいい。自分は、自分に
課せられた役目・・・つまり、婚礼のための料理作りに打ち込むだけだ。
(さて・・・と)
小さく肩を竦めたヴェインは、水汲みの作業を再開した。再び桶を持ち上げようと手をかけたところで、
台所の入り口の方から棘のある声が聞こえた。
「あなたね? アベルがわざわざナーガから呼んだっていう人間は。」
「ん? 誰だ、あんた。」
「よくもまあ、あんな贅沢が言えたものね。あなた、そんなにご大層な腕前なの?」
「シャリエ、いきなりそんな・・・」
「アトリ。あなたは黙ってなさい。」
声の主は、眼鏡をかけた緑の髪の少女だった。長い後ろ髪をツインテールにしてまとめている。
後ろからおずおずと言葉を挟んだもう一人を一声で黙らせると、相手はつかつかとヴェインの前まで
やってきた。次いでヴェインの全身を上から下までじっくりと眺め、わざとらしい溜息をついてみせる。
「こんな若造で、本当に大丈夫なのかしらね。今日は、畏れ多くも竜王陛下がここにいらっしゃるって
いうのに・・・。」
「うるせえな! 大体な、お前みてえなにガキに若造って言われる筋合いは―――――」
「お黙りなさい。」
ぴしゃりと言った相手が、ヴェインを真正面から睨み付けた。

「私は、フェスタ医務大臣シャリエ。本来ならば、あなたのような一介の人間風情が声をかけることすら
できない身分なのですよ。」
「あんだと!?」
「それに、私は当年とって五十六歳です。こちらこそ、あなたにガキ呼ばわりされる筋合いは
ありません。」
「はぁ!?」
どう見ても自分より年下に見える相手にこう告げられて、ヴェインは口をあんぐりと開けた。その様子を
目にしたシャリエが、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「まあ、いいわ。せいぜい、私たちを満足させられるよう頑張ることね。」
「あ・・・おい!!」
「いいこと? その野菜と果物・・・一つでも無駄にしてごらんなさい。ただじゃおかないから。」
言うだけ言って、すたすたと台所から出ていくシャリエ。傍らに置かれていたテーブルを力一杯
殴り付けたヴェインに向かって、その場に残っていたもう一人が宥めるように言った。
「な・・・なんなんだあの高慢ちきな女は!!」
「ごめんね。シャリエ、素直じゃないから。」
「あん!?」
「わたしは、アトレーシア。どうか、アトリって呼んでね。」
にっこりと笑った相手は、この暑いのに長い頭巾を被っていた。焦茶の短髪に同じ色の瞳は、
一見すると人間のように見える。
「・・・あんたも、竜なのか?」
「ええ。一応わたしも大臣で、向こうでは農業関係の仕事をしているの。」
頷いた相手が、足元から大きな包みを取り出した。
「これ、頼まれてたお野菜と果物。満足してもらえる出来だといいんだけど・・・」
「え!?」
突然、こちらの都合にお構いなく届いた手紙。それへの返事として、ヴェインは腹立ち紛れに「料理に
必要なもの」として様々な要求を書き連ねた手紙を送り返したのだった。
秋以降でなければ収穫できないはずの野菜や果物。同じく、ナーガ近海では獲れない魚介類に、
店でも滅多に見ることのなかった高級食材の数々。この時期にはどこを探しても見当たらないか、
仮にあったとしても碌な品質のものではない食材ばかりだ。
もちろん、これらは今回の料理には必要不可欠なものではなく、単に嫌味のつもりで要求したもの
だった。事実、ヴェイン自身もこうした食材が手に入るとは全く考えておらず、そもそもそんな返事を
書いたことをすっかり忘れていたくらいなのだ。
(ウソだろ・・・)
ところが、食材は現実に目の前にあった。
包みから覗いている野菜や果物は、そのどれもが新鮮そのものだった。それも、長い間店で目利きの
修行をしてきたヴェインにとっては、一目見ただけで特級品であることが分かる代物である。
これも、竜たちの為せる“技”の一つということなのだろうか。
呆然と野菜の山を眺めているヴェインに向かって、アトレーシアと名乗った竜が言った。
「これはね、全部シャリエが頑張って作ってくれたの。忙しい仕事の合間に、寝る間を惜しんでね。
・・・だから、大事に使ってあげてほしいな。」
「・・・・・・。」
「あ、そうそう。残りのお肉やお魚は、後でお兄ちゃんが持ってきてくれることになってるから。もう
ちょっと待ってね。」
「お兄ちゃん?」
「うん。フェスタの誇る頭脳、法務大臣ジークリート。わたしの、大好きなお兄ちゃん。」
にっこりと笑った相手が、嬉しそうに言う。どうやら、竜の場合も兄弟の絆というものは人間と同じく
存在するらしい。そういった意味では、竜と人間は案外身近な存在なのかも知れない。
こちらも表情を和らげたヴェインが、躊躇いがちに尋ねた。
「・・・・・・。なあ、竜王ってのは・・・?」
「火竜王、グラシノーラ様のこと? ・・・わたしたちの国、真竜族の王国フェスタを治める女王様で、
とても素晴らしい方なのよ。あなたたち人間族にも、王様はいるでしょう? それと同じなの。」
「そう・・・なのか。」
「もしかして、私たちを見るのは今日が初めてなの?」
「ああ。おかげで、こっちは驚かされっぱなしだぜ・・・。」
少し遠い目になったヴェインは、ぼやきながら頭を掻いた。その様子を微笑ましげに眺めていた
相手が、勝手口の前に置かれていた水桶に目を留め、そちらへと歩み寄った。
「ふふ。初めはびっくりしたかもしれないけど、わたしたちとあなたたち人間はほとんど変わらないの。
ただ、こんな風に―――――」
「げ!?」
「あなたたちにはない、少し特別な力があるだけ。」
次の瞬間、ヴェインは驚きに目を見張ることになった。自分があれほど苦労して運んでいた水桶を、
相手がいとも容易く持ち上げたからだ。
特に、鍛えられているという印象はない相手だ。それが、さして力を入れているとも見えないのに、
二グレス近くあるはずの水桶を軽々と片手で支えているのだ。もちろん、表情にも態度にも、
それらしい様子は全く見られないままだ。
ヴェインの考えていることが分かったのだろう。水桶の中身を甕に向かって空けたアトレーシアが、
くすっと笑った。
「わたしは地竜だから、物の重さを感じないんです。別に、腕力があるわけじゃないんですよ。」
「・・・結局、同じことだろ。」
「本当は、水竜のどなたかに手伝ってもらった方がいいのいかな。直接、ここに水を喚ぶことができる
から・・・でも、ティアさんが来るのは夜になると思うし。」
「・・・・・・。」
指を口に当て、考えながらここまで言ったアトレーシアが、自分の方を呆然と眺めていたヴェインに
向き直った。
「それより、水汲みの続きですけど、わたしにやらせてくれませんか?」
「なんだって?」
「料理人は、手が大事なんですよね? 慣れない水汲みで、どこか痛めたら大変。」
「ああ、そりゃまあ・・・やってもらえりゃ、願ったり叶ったりだけどよ。・・・じゃ、悪いけど頼めるか?」
「はい! お手伝いします。」
小さく頭を下げるヴェイン。にっこりと笑ったアトレーシアは、頷くと水桶を抱えて勝手口から出て
いった。