ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ  プロローグ            エピローグ

ダンデライオン
〜遅咲きのたんぽぽ


 −プロローグ−

風竜の月も終わりに近づくと、気候はめっきり夏めいてくる。朝六時ともなると、澄み切った爽やかな
空気の中暖かい日光が降り注ぎ、早起きした者を何やら得した気分にさせてくれる。
そんなある朝のこと。水竜術士家の居候であるタクトは、日課である朝の散歩のため湖の畔にやって
来ていた。片手には木製のリコーダー、そして動きやすい普段着・・・といういつもの出で立ちである。

そして、リコーダーの演奏に没頭するタクトの傍らには、これまた毎日必ず現れる“観衆”がいた。
水精ライナリュート。コーセルテルの中央に位置する湖の守護精霊である。タクトが湖畔で演奏を
始めると、彼女は必ず現れてその演奏に聴き惚れるのであった。

「ふーむ。いつ聴いてもお主の演奏は見事なものだな。」
「そ・・・そうですか?」
「うむ。いつも思うのだがな、とても一本の笛による演奏とは思えん・・・実は風の精霊に手伝って貰って
おるのではあるまいな?」
「まさか! 風の精霊には知り合いがいませんし、何よりそれだったらライナさんが気付いているはずで
しょう?」
「ま・・・確かにそうだ。」

演奏を聴き終えたライナリュートは、水上に「腰掛けた」状態でタクトに笑いかけた。靴を脱ぎ、裸足を
湖水に浸した状態のタクトも笑顔で応える。

タクト&水精ライナリュート(那岐蓮奈さん作画)

「あの・・・ライナさん、前々から気になってたんですけど・・・」
「何だ?」
「ライナさんって、その・・・姿はまだ若いですよね・・・」
「若くて可愛い、と言って貰おうか?」
「ああ・・・はい、若くて可愛いですよね。」

(自分で言うかなあ・・・)

と心の中では苦笑いしつつも、タクトは大真面目な顔で言い直した。・・・この辺りは、日頃エレと接して
いるリリックの様子を見ていると自然と身に付くものらしい。

「うむ、よろしい。」
「・・・なのに、なんで喋り方がそう堅苦しいんですか? もっとこう、見かけにあった口調があると思うん
ですけど・・・」
「タクト。」
「あ・・・はい。」

(怒らせちゃったかな・・・?)

強い調子で自分の名を呼ばれ、思わず身構えるタクト。だが、意外にもライナリュートは寂しそうに目を
伏せ、沈みがちな口調でこう言っただけだった。

「お前も、フェイと同じことを言うのだな。・・・そんなに可笑しいか? この喋り方は・・・」
「あ、いえ・・・そんなことはないですけど。でも、ちょっと変わってるかなー・・・って。」
「・・・何、私に言葉を教えてくれた人の癖が移ってしまっただけのことだ。これでも、自分のことを“私”と
言えるようになるまではかなりの苦労をしたのだぞ?」
「は・・・はあ。・・・それで、その“言葉を教えてくれた人”っていうのはやっぱりライナさんの・・・」
「父になるかな。私の・・・正確には“義理の”だが。」
「義理・・・。」

ライナリュートの意味深な言葉を聞いて難しい顔になったタクトの様子に、最初目をぱちくりさせていた
ライナリュートは、やがて手を額にやるとわざとらしく肩を竦めてみせた。・・・もちろん、鼻で笑うのも
忘れない。

「な・・・なんですか今の『フッ』ていうのは。」
「タクトよ、お主また何か勘違いしておるだろう。いやいや、お主が筋金入りの“精霊音痴”であった
ことをすっかり失念しておったわ。」
「せ・・・精霊音痴!?」
「そうであろう? ついこの間まで精霊を見ることも出来なかったのだからな、そう言われても仕方
あるまい。」
「そりゃまあ・・・」

痛いところを突かれて頭を掻くタクト。
コーセルテルにやって来てから半年の間、タクトは“精霊”というものを見ることができないでいた
時期があった。元いた世界の固定観念からなのか、それとも元々そうした能力に乏しかったのか・・・
正確な理由は分からなかったが、最初にタクトが目にすることができた精霊がこのライナリュート
だったのだ。それ以来、ライナリュートはタクトにとって精霊の中で一番近しい存在になっていた。

「そうだ、タクト・・・面白ことを思い付いたぞ。」
「・・・はい?」

タクトをやりこめ、にやにやしていたライナリュートはやがて何を思い付いたのか陰のある笑みを
浮かべた。その様子に「今度は何だ?」と心なしか身構えるタクト。

「お主には、私は一体何歳に見えるかな?」
「ライナさんの歳・・・ですか?」
「そうだ。・・・もし誤差の範囲で私の年齢を言い当てることが出来たなら、お主の聞きたいことに何でも
答えてやろうではないか。もちろん・・・」

ここで、いつも通りライナリュートは盛大な“邪笑”を浮かべた。

「外れたら、それなりの覚悟をしてもらうがな。どうだ?」
「うーん・・・どうせ、『やりません』っていうのはナシなんでしょう?」
「何だ、物分りが良いではないか。」
「それじゃ、謹んで! 挑戦させていただきます!!」

(来たよ・・・。ほんと、この人はこういうのが好きなんだから・・・)

ライナリュートがこうした形でタクトにとんでもないことを言い出すのは、もはや日常茶飯事。もちろん
タクトは彼女に悪意がないことをよく知っており、よって外見は嫌々それに従う様子を見せつつも、心の
中ではこうしたライナリュートの無理難題を結構楽しんでいるタクトなのであった。

(えーと・・・確かマシェルさんの家の近くに住んでるルンタッタちゃんは『木と共に生き、木と共に死ぬ』
みたいなことを言ってたっけ。木だったら樹齢は順調に行って数百年ってところだよなあ・・・)

考える表情になったタクトの様子を、ライナリュートはにやにやしながら眺めている。

(ライナさんは見かけは僕より年下だけど、絶対に三桁にはなってるハズだ。そうだなあ・・・やっぱり
同じ「精霊」なんだから・・・)

「えーと・・・。五百歳くらい、ですか?」

少ない材料から導き出した結論をライナリュートに告げるタクト。その答えに、ライナリュートは束の間
驚いたように目を見開き・・・そして、再び不穏な笑いを浮かべたのだった。

「ほう。いい線ではないか。」
「そうですか?」
「うむ・・・残念ながら桁が一つ違うがな。」
「桁・・・って、えぇっ!?」
「そうだ。私は当年とって四千四百四十四歳なのだ。」
「四千四百四十四歳ぃ!?」

(し、信じられない・・・)

「そ・・・そんなに長生きだったなんて・・・」
「驚いたか。無論、これは私が水を司る精霊だからだがな。」
「あれ? ・・・ってことは、精霊みんなが長生きってワケじゃないんですか?」
「そうか・・・お主はまだよく知らんのであったな。ま、“精霊音痴”のお主のことだ、無理もあるまい。」

(それはもういいってば!)

タクトの心の中のぼやきを知ってか知らずか、ライナリュートはにやりとすると説明を始めた。

「簡単なことだ。お主等は我等のことを一括りに『精霊』と称しているが、『精霊』にはその出自によって
大きく二つの種類があるのだ。」
「はい。」
「私のように特定の場所を守護するものや、その存在によって自然現象を司っているもの・・・水、
そして風や雷の精霊には、基本的に“寿命”という概念がないのだ。無論、宿る場所が何らかの原因で
消滅したり、あるいは精霊術士等によって力を奪われたりした場合はこの限りではないがな。」
「・・・・・・。」
「これに対して、木の精霊のように『命あるものと共に生まれ、共に消える』者たちには“寿命”が存在
する。宿主と同じだけの寿命・・・ということになるが、こちらの方がお主にとっては想像しやすい存在で
あろうな。」
「えーと・・・」
「つまりだな、『その存在ゆえに自然現象が存在する』精霊と、『自然現象ゆえに存在する』精霊が
いるということだ。前者には我等水の精霊が、そして後者には木の精霊が含まれる訳だな。」
「はあ・・・。まあ、つまりライナさんはものすごい長生きだし、そういう姿のままでいられる、ってこと
ですね?」
「そうだ。若く可愛いままで、な。」

悦に入ったライナリュートの様子を苦笑いしながら眺めていたタクトは、ここでふと首を傾げた。

「あれ? ライナさんは、この湖の守護精霊なんですよね。」
「いかにも。」
「この湖ができたのは、コーセルテルができたときのはずだから・・・今から五千年以上前のことに
なりますよね。・・・なんでライナさんの歳は五千歳よりかなり少ないんです?」
「タクト・・・全く、お主という奴は。」
「え・・・あの、え・・・?」

当然の疑問を口にしたタクトに向かって、わざとらしく肩を竦めてみせるライナリュート。

「か弱い“れでぃー”に歳のことを訊くなど、お主には“でりかしー”が足らぬのではないか? 相手が
私だったから良かったようなものの、こんなことでは将来モテぬぞ。」
「あ・・・す、すみません。」

(・・・“か弱い”が聞いて呆れるよ。それに、最初にこの話題を振ったのはそっちじゃないか・・・)

と心の中ではぶつぶつ言いながらも、素直に謝ったタクトに向かってライナリュートは鷹揚に頷いた。

「まあ良い。・・・ただ、これは全て後に父から聞いたことなのだ。私自身が見聞きしたことではないの
だが・・・それでも良いか?」
「あ、はい・・・。」

タクトから視線を外し、ライナリュートは近くの土手を眺めた・・・季節柄咲いていたタンポポの黄色が
目に鮮やかだ。

「父によるとな、ちょうど今頃の話だったらしい・・・」


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