私の人生  プロローグ        4    エピローグ

 −4−

トレベスの突拍子もない言葉に、リアは目を剥いた。もしや、自分の術士はとうとう気が触れて
しまったのではないだろうか。

「トレベス!! 一体それは、どういう意味よ!!」
「どうって・・・そのままの意味さ。お前の木竜術で、俺が安らかな眠りに就けるような薬を作って
欲しいんだ。死ぬってのは、とかく痛かったり苦しかったりするものだからさ。材料は、地下の
倉庫にあるだろ。」
「あたしに、人殺しをしろって言うの!? それも、自分の育ての親を!! 
・・・嫌よ!! 絶対にお断りよ!!!」

「リア・・・。ここまで来て、無茶を言わないでくれよ。」
「無茶を言ってるのはどっちよ!! そうよ!! そんなに死にたければ、自分で
やったらいいじゃないの!!」

「もちろん、できたらそうしてたさ。でも、竜術ってのは竜がいないとほとんど使えないからな。俺一人の
力じゃ、どうにもならないだろ。」
「だからって・・・!! あたしは、こんなことをするために術の勉強をしてきたんじゃ
ないッ!!
 トレベス、あなただって・・・こんなことのために、あたしに術を教えてきたなんて
―――――」

「ああ、言うつもりだ。どんなことが起こってもそれに対応できるように、俺はお前や兄弟たちに
木竜術を教えてきたんだ。」
「嘘!! これ以上そんなバカバカしい話、聞きたくもないわ!!」

叫ぶように言ったリアは、ここでトレベスに背を向けると、両手で耳を塞いだ。

「こんなの・・・こんなの、絶対におかしい!! 大体、あなたの記憶が薄れてるっていうなら
・・・それを取り戻す方法がないか、最初に探すべきじゃないの!? そうよ、里からロンドたちも
呼んで、みんなで・・・!!」

「悪いな。もう、決めたんだ。・・・これ以上、お前たちの前でみっともない姿は見せたくないんだ。」
「でも―――――」
「お前だって、分かっているはずだ。不死の秘法、若返りの術なんてものが絵空事だってことはな。」
「―――――ッ!!」

確かに、その通りだった。もしそんな方法があるのなら、コーセルテルが“術士不足”などという事態に
見舞われることもない。
自分に背を向けたまま、自らを抱き締めるような格好で嗚咽を漏らしていたリアの肩に、トレベスは
静かに手を置いた。

「なあ、リア。・・・お前は昔、竜医になりたいって言ってたな。憶えてるか?」
「・・・・・・。」

無言で頷くリア。それを見て、こちらも頷いたトレベスが言葉を継ぐ。

「医者は、目の前に怪我人や病人がいれば治そうとする。今まで俺は例外なくそうしてきたし、お前
だってそうしたいと思っているんだろう。・・・けどな。それは、どうしてだと思う?」
「え・・・?」

投げかけられた意外な問いに、リアは思わず振り向いた。
医者が患者を治療するのは、そもそも当たり前のことではないか。そう答えたリアに向かって、
トレベスはにべもなく首を振った。

「残念だが、それじゃ答えになってない。」
「・・・・・・。じゃあ・・・トレベスは、どう思ってるの?」
「俺か。俺の考えは、こうだ。・・・目の前の患者が、苦しんでいる。その苦しみを取り除いてやるのが、
医者の務めだと思うからだ。」
「・・・・・・。」
「そして俺は今、薄れていく記憶に苦しめられている。それを治す方法がなく、本人も望んでいるんだ
・・・それを取り除くのが、医師を目指すお前の役割だろう。そうだ・・・これはお前が竜医を目指すに
当たっての、最後の試練だと思えばいい。・・・俺の言いたいことが、分かるな?」
「・・・・・・。」

涙をぼろぼろと零しながら、リアは首を振った。
今ここで頷いてしまえば、トレベスの屁理屈を自分は認めてしまうことになる。

「じゃあ・・・竜医になんか、ならない。」
「リア・・・。」
「術士を辞めるのは、仕方がないと思うけど・・・。だからって、そんな・・・。・・・あたしたちの気持ちは、
どうなるの!?」

「その前に、俺の気持ちだ。これは、俺の人生だからな。お前たちは、あくまで他人でしかない。」
「ぐ・・・」

正論だった。言葉に詰まり、俯いたリアをトレベスは優しく抱き締めた。肩をぽんぽんと軽く叩き、
諭すような調子で言う。

「なあ、リア。人間の寿命は高々六十年だ。誰でも歳を取れば身体が言うことを聞かなくなるし、頭
だって弱くなる。だから、ある歳になったら皆、自分から身を引くのさ。」
「・・・・・・。」
「俺の場合は、それが少し・・・他の奴らより早かった。それだけのことじゃないか。」
「・・・・・・。」
「頼むよ。いつまでも、みっともなく生にしがみ付いていたくないんだ。・・・お前がどうしても協力して
くれないってんなら、俺は最後の手段に訴えるしかなくなる。」
「最後の・・・手段?」
「ああ。普通の人間がするように、陳腐な方法で死を選ぶだけさ。首吊り、身投げ・・・方法はいくつも
あるが、正直言って気持ちのいいもんじゃない。」
「・・・・・・。」
「・・・それにさ。こういうことってのは、どうせなら・・・愛する者の手で、送り出して欲しいものじゃ
ないか。」
「愛する・・・!?」

項垂れていたリアは、トレベスの何気ない言葉にばっと顔を上げた。
今まで、どんなに望んでも得られなかった一言。そして、本人の前ではどうしても口にできなかった
一言。

「トレベスが・・・あたしの、ことを・・・?」
「そうさ。・・・俺とお前は、この家で三十年近くも一緒に暮らしてきたんだ。家族の一員として、誰よりも
お前のことを愛しているよ、リア。」

(家族の・・・一員として・・・)

それは、自分の期待していた言葉とは、少し違うものだった。しかし、これ以上を望むのは、贅沢と
いうものだろう。・・・トレベスの心の中には、まだ“あの人”がいる。そのことを考えると、この言葉は
トレベスの精一杯の“優しさ”から出たものだろうから。

(・・・・・・)

目を伏せたリアは、ここで小さく・・・しかし、はっきりと頷いた。

「そうか。ありがとな、リア。」

リアの身体を一際強く抱き締めたトレベスが、踵を返すとゆっくりと客間の入り口へと向かった。

「じゃあ、俺は先に部屋に戻ってる。まだ、一つやることが残ってるからな。」
「やる事・・?」
「遺言を、書いておかなきゃな。」
「遺言・・・」
「ああ。・・・用意ができたら、俺の部屋に来てくれ。」


  *


自室に戻り、いつものように自分の机の前に座ってペンを握る。しかし、いざ書こうと思うと、何も
浮かんでこなかった。
それでもしばらくの間、眉を寄せて考え込んでいたトレベスは、やがて諦めたようにペンを机の上に
投げ出すと、部屋に設えられている窓の前に歩み寄った。腰の後ろで手を組み、そこから外の風景を
眺める。
窓の外は、一面の闇だった。虫たちの大合唱、そして時折吹く夜風に揺れる草木の音以外、耳につく
ものもない。・・・日が変わっても街全体が煌々と明るく輝き、喧騒の絶えることのない、自分の故郷
パルミとは大違いだった。
若かった頃は、それについて何の不思議も抱かなかった。むしろ、コーセルテルに来たばかりの頃は、
余りの寂しさに辟易したこともあった。しかしそれも、時間が経つにつれて、これこそが人の暮らしの
あるべき姿だと思えるようになったのだ。

(三十年、か・・・。思えば、長いようで短かったな・・・)

ここで振り返ったトレベスは、束の間・・・自分が四半世紀を過ごした部屋の中を眺めた。
本来、「遺言」とは自分の死後、その地位や遺産を巡っての争いを回避するために生み出された
ものだ。着の身着のままでこのコーセルテルに辿り着き、全てを再び与えられた自分が遺せる
ものが、一体どれほどあるだろうか。「物」という意味では、それは皆無に近い。

(いや。・・・そう言えば、まだアレが残ってたな・・・)

不意に、脳裏に閃くものがあった。ふっと笑ったトレベスは、再び机の前に座ると、用意した紙の上に
ペンを走らせ始めた。
伝えるべきことは、日々の暮らしの中で残らず伝えてきた。リアにも、言うべきことは先程の話の中で
全て言ったはずだった。そう・・・心の奥底にしまい込んでいた、たった一つを残して。
それを今、書き遺す。これで、心置きなく旅立つことができるだろう。

(・・・・・・)

窓の外で、フクロウの鳴き声が聞こえた。それに耳を澄ましながら、トレベスは無心でペンを走らせて
いった。


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