MOON RIVER
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「本当に、遠いところをよく来てくれました。改めて、お礼を言わせてください。」
「いえ、陛下―――――」
「ノルテさん。この部屋にいるのは、私たちだけです。“陛下”も、堅苦しい言葉遣いもなしにしませんか。」
「・・・はい。」
「さあ、遠慮なく召し上がれ。カリストの淹れてくれたミルクティーは、宮殿の名物の一つなのですよ。」
「・・・いただきます。」
小ぢんまりしたテーブルに、向かい合って座る。にっこりと笑ったセレネの言葉に、頷いたノルテは紅茶のカップに手を伸ばした。
招き入れられたセレネの私室は、夏の都の支配者の名に恥じない豪奢な造りだった。そこに、セレネの性格を反映した質素な調度品が置かれている様は、見る者にちぐはぐな印象を与え、どことなく可笑しみを感じさせるものだった。もっとも、当のセレネ本人には、全くそれに頓着する様子はないようだった。
「実は、その後もノルテさんのことは、コーセルテルに駐留する者たちから報告を受けていました。貴方に性根を叩き直された夏軍の兵は、それこそ十指に余ります。本当に、お世話になりました。」
「いえ、そんな・・・。」
「しかし、驚きました。まさか、あれ程までに腕を上げているとは・・・。今ならば、本気を出して戦っても、私は貴方に勝てないかも知れませんね。」
「・・・・・・。あれで、良かったのでしょうか。」
「あの兄弟には、良い薬です。二人とも腕は確かなのですが、精神的な甘さが残っているところが課題でしたから。これで、また一回り大きく成長してくれると、私は思っています。」
「・・・そう、ですか。」
しばらくの間、お互いの近況についての話をした。セレネの語る、王になるまでの紆余曲折と、その後の試行錯誤についてのエピソードは、ノルテにとって初めて耳にするものだった。対して自らが伝えた、独りきりの日々の空しさ、誰にも必要とされないことによる苦悩については、セレネは大いなる同情を示してくれた。
「あの、セレネさん。」
「はい。何でしょうか?」
会話が一段楽したところで、意を決した様子のノルテが、セレネに向かって問いかけた。
「教えてください。夏の都では、何が起こっているのですか?」
「・・・・・・。そうでしたね。ノルテさんには、本当のことをお話ししなければなりませんね。」
向けられたノルテの真摯な瞳に、表情を改めたセレネが居住まいを正した。
「ノルテさんは、夏軍の構成については、どの程度ご存知ですか?」
「はい。近衛隊を含めると、合わせて九つの軍があると、テーセウスさんから聞いたことがあります。」
「その通りです。それらの軍は、夏軍では特に“頭”と呼ばれていますが・・・今は冬、つまり夏軍の活動時期ではありませんから、通常であれば各頭は夏の都に引き揚げ、来るべき次の夏の戦に向けた準備を行っているはずでした。・・・しかし、今この夏の都に駐屯している頭の数は、近衛隊アリゼ・マリティムを含めても六つでしかありません。」
「・・・・・・。残りの三頭は、どこに?」
「ヘリオス率いる第二頭ボーラ、アレス率いる第三頭チヌーク、そしてクレイオス率いる第五頭アブロオロス。これらの三頭は、レーンディア川を挟んだ対岸に布陣しています。昨秋、秋軍との交戦を終えて戻る途中で袂を分かって以来、もう三ヶ月近くこの状態が続いているのです。都に戻るようにと、何度も使者を送りましたが・・・結果はどれも無為に終わりました。」
苦い顔になったセレネの言葉に、ノルテは頷いた。
自分でも、妙だと思ったのだ。王の間で見かけた夏の精霊たちのうち、軍を率いるに足ると思える貫禄の持ち主は、贔屓目に見てネレウス、ペリアス、ディオネを含めても五人前後。事前に聞いていた、九つという軍の数とは大きな隔たりがあったからだ。
しかし、それならば何故、その三頭は長らく夏の都を留守にし、のみならず夏の精霊王であるセレネの命令に従おうとしないのだろうか。ノルテのこの当然の疑問に、頷いたセレネが言葉を続ける。
「コーセルテルで以前、私は貴方にこう宣言しました。力が全てという夏の精霊たちの考え方には問題があり、自らが王となった暁には、その考え方を変えられるようにしたいと。」
「・・・はい。」
「都に戻り、厳しい競争を勝ち抜いていく中でも、その考えは変わりませんでした。そして、十年前にやっと夏の精霊王として即位した私が最初に手がけたのが、夏の精霊たちの意識改革でした。それは三年前、私の名を冠した“セレネ法典”という形で実を結びました。」
「・・・・・・。」
「しかし、多くの夏の精霊たち・・・特に強大な武力を具えた軍関係者たちにとって、その権力を否定されるという現実は、余程大きな衝撃だったのでしょう。以来、夏の都では法典賛成派と反対派の間で、激しい対立が見られるようになりました。そしてとうとう、反対派の頭首たちは、自らの頭を率いて都を出るという思い切った手段に出たのです。」
俯き加減で喋っていたセレネが、ここで両手を額の前で組んだ。その口元には、抑え切れない無念さがありありと滲み出ている。
「夏の都が、叛乱によって分裂するなどという事態は、夏軍の歴史上でも前代未聞だそうです。都の分裂を防げなかったことについては、王として恥じています。思えば、王を志してからその実現までにも、十年以上の長い歳月がかかりました。・・・私は、焦っていたのだと思います。今悔いても仕方のないことですが、もう少し緩やかな改革を目指すべきでした。」
セレネの言葉を最後に、部屋の中はしんと静まり返った。しばらくして口を開いたのは、ノルテの方だった。
「では、セレネさんは・・・その叛乱を鎮圧させるために、私を呼んだのですか?」
「いえ、違います。今回の事態は、私の身から出た錆。その後始末に、他人の手を借りようとは思っておりません。」
「では―――――」
「私はこれから、残された夏軍を率いて、叛乱軍の鎮圧に向かいます。決して気の進む仕事ではありませんが、春になる前に事態を収拾できなければ、間違いなく今年の夏に影響が出てしまいます。それだけは、夏の精霊王として避けなければなりません。」
ここで顔を上げたセレネが、ノルテの顔を正面から見据えた。そして、改まった口調で一言一言を区切るようにしてはっきりと言う。
「ノルテさん。貴方をお呼びしたのは、他でもありません。私に万が一があった際に、私に代わってこの夏の都を支えられるのは、貴方しかいないと見込んだからです。」
「え!?」
思いも寄らない大役だった。慌てて首を振ったノルテに向かって、小さく身を乗り出したセレネが畳み掛ける。
「そ・・・それは、私には過ぎた大役です。」
「いえ、私はそうは思いません。現に、先程の御前試合でも、貴方は僅かな間に、あの場にいたほぼ全ての者の度肝を抜き、その畏敬の念を勝ち得ることに成功したではありませんか。今や、貴方の頭首就任に異を唱える者はいないはずです。」
「で・・・でも・・・」
「いかがでしょう、ノルテさん。正式に夏軍の近衛隊アリゼ・マリティムの頭首となり、私が不在の間、この都を守ってはくれませんか?」
「・・・・・・。」
きっぱりと言い切ったセレネが、ノルテの瞳をじっと見つめる。その視線を外すようにして、ノルテは眼を閉じた。
そのまま、どれくらいの時間が経っただろうか。やがて眼を開いたノルテが、その視線をセレネへと向けると、はっきりと頷いた。
「分かりました。お引き受けします。・・・ただし、お願いが三つあります。」
「ええ。伺いましょう。」
「正式に頭首を引き受けるからには、私はセレネさんの臣下となります。他の方々の目もありますし、今後は私のことは、単にノルテと呼んでくれませんか。もちろん、私もセレネさんのことは、陛下と呼ばせてもらいます。」
「・・・なるほど。結構です。二つ目は?」
「私を軍使として、叛乱軍の駐屯地へと、遣わしてください。夏の精霊同士の戦いは、最後の手段です。それを避けられるかどうか、最後の挑戦をさせてください。」
「しかし、それはあまりにも危険な賭けではありませんか。万が一、貴方が―――――」
「私は、私の武を・・・必要とする相手のために、役立てたい。仮に、それで命を失うことになっても、悔いはありません。」
「ノルテ・・・。」
きっぱりと言い切ったノルテが、セレネを正面から見据えた。その瞳に宿った輝きは、今の言葉が偽らざる本心であることを示していた。
自らの人生の大半を費やしてきた、武術の修練。その結果を活かすことが出来る場を、ようやく自分は与えられた。そうだ。きっと自分は、この瞬間のために今まで生きてきたのだ。
微笑みすら浮かべたノルテの様子に、苦笑したセレネが小さく首を振った。
「全く、貴方という人は・・・。・・・そんな眼をされては、断れないではありませんか。」
「では―――――」
「ええ。最後通告の使者として、貴方を遣わすことにします。・・・最後の、三つ目は?」
「・・・・・・。あ、あの・・・」
「?」
首を傾げるセレネ。ここで初めて言い澱んだノルテの頬は、ほんのり紅く染まっていた。
「無事に戻れたら、その・・・また、抱き締めて、もらえませんか?」
昔から、感情を表現することが大の苦手だった自分。そんな自分を、何かある度にアリシアは黙って抱き締めてくれた。それが、自分をどれだけ救ってくれたか分からない。
恐らく、そんなノルテの心の内を察したのだろう。微笑んだセレネが、大きく頷いた。
「分かりました。・・・ただし、私からも条件があります。必ず、生きて戻ること。よろしいですね?」
「はい。・・・きっと。」
頷いたノルテは、椅子から立ち上がるとその場に跪いた。その頭上へと、セレネの鋭い
声が降ってくる。
「地竜ノルテ! 只今を以て、近衛隊アリゼ・マリティム副頭首の任を解き、代わって頭首を命ずる!」
「ははッ!」
「これより、レーンディア川対岸に駐屯する叛乱軍の陣所に赴き、今一度投降を呼びかけよ! 我が名代として、交渉の全権をそなたに預けるもとのする!」
「承りました!!」
腹の底から声を出し、ノルテは立ち上がった。傍らに立てかけてあった大剣を手にすると、セレネに向かって一礼する。その顔には、この三年間で初めてとなる、心からの笑顔が浮かべられていたのだった。