MOON RIVER
1
2
3
4
5
6
7
−6−
「よくぞ参られた。私が、夏軍第二頭ボーラ頭首のヘリオスだ。」
ダイモスに連れて行かれた天幕でノルテを迎えたのは、初老の夏の精霊だった。その髪、蓄えられた立派な鬚には白いものがかなり混じっている。鋭い目付き、きびきびとした身のこなしは、長年夏軍を支えてきた歴戦の将軍ならではのものなのだろう。
「お初にお目にかかります、ヘリオス殿。私は―――――」
「堅苦しい挨拶は、無しにしようではないか、ノルテ殿。さあ、まずは掛けられよ。」
その場に膝をつき、名乗ろうとしたノルテを、ヘリオスが押し留める。相手の過分に好意的な態度に微かな戸惑いを感じながらも、勧められた床机に腰を下ろしたノルテは、改めてヘリオスと向かい合った。
「貴殿の活躍については、私も既に耳にしている。都に着いて早々、頭首を三人叩きのめしたそうではないか。まだ若い彼奴らには、良い経験になったであろうな。」
「は・・・はい。恐れ入ります。」
「この十年余りで、王を含めて夏の都の顔ぶれも随分と変わった。今、夏の都の抱える最大の課題は、経験不足に他ならぬ。ノルテ殿のような優れた武人が夏軍に加わってくれれば、私としても心強い。」
仮にも、自分は王自らが遣わした軍使であり、相手は叛乱軍の指揮官なのである。ヘリオスとの対面早々、激しい遣り取りが始まることを予想していたノルテにとって、相手のざっくばらんな言葉は全く予想外のものだった。思わずそのことを尋ねたノルテに向かって、目元を和ませたヘリオスが答える。
「これは、聡明なノルテ殿らしからぬ問いではないか。我等は、一方的に押し付けられたセレネ法典に異を唱えて、都を出たものである。裏を返せばそれは、武に対する最高の崇敬の念を持っている、ということになりはせぬかな? ・・・あのアレスを苦もなく退けるほどの武の持ち主には、それ相応の敬意を以て臨む。それは、ごく自然なことではないかと思うが。」
「・・・・・・。しかし、ヘリオス殿―――――」
「うむ、そうだな。王の命を果たせぬままでは、貴殿は夏の都へ帰れまい。・・・宜しい。まず、軍使としての口上を承ろうではないか。」
「ありがとうございます。では、我が王よりの伝言を、お伝え致します。」
「うむ。申されるが良い。」
ノルテの言葉に、頷いたヘリオスが居住まいを正した。
「セレネ王は、貴殿ら三頭の頭首に対して、直ちに軍を退き、夏の都へと帰還されるよう、望んでおられます。」
「・・・・・・。残念だが、それは出来ぬ相談だ。王があくまでセレネ法典に固執される限り、我等との溝は埋まらぬものと心得られよ。」
「しかし、ここに滞陣を始められて、既に三ヶ月になると、聞き及んでおります。あまりにも長期に亘る野営は、士気を喪失させ、頭の戦力を奪うことになります。・・・また、これから季節は春へと向かいます。春軍が、夏の都の内紛を知れば、冬軍ではなく夏軍に、その矛先を向けてくる可能性も、あるのではありませんか?」
「・・・・・・。」
「率直に申し上げて、我が王は夏の都の改革を急ぎ過ぎたと、私も思います。そのことは、王自身も悔いておられます。であるからこそ、説得のために私をここに遣わされました。・・・私は、王の名代です。叛乱に加わられた皆様の無念の思いは、我が王にしかとお伝えし、互いの歩み寄りのための、話し合いの席を設けること。並びに、皆様の処遇についても、最大限考慮することを、ここにお約束します。どうか、投降に応じてはいただけないでしょうか。」
言葉を切ったノルテが、ヘリオスを正面からじっと見据える。対するヘリオスは、途中から腕を組んで眼を瞑ったままだ。
天幕の中に、張り詰めた空気が漂う。しばらくして、再び口を開いたのはノルテの方だった。
「ヘリオス殿。貴殿が叛乱という非常手段に訴えられた心の内が、私には分かる気が致します。」
「ほう。どういうことかな?」
ノルテの意外な言葉に、閉じていた眼を開いたヘリオスが驚いた顔になった。
「アレス殿とは、先程立ち合いました。類稀な武勇の持ち主ではありますが、今回の法典について、深く考えている様子は見受けられませんでした。クレイオス殿と直接お会いしたことはありませんが、やはりアレス殿と似たところがあると、夏の都で聞き及んでおります。・・・こうした頭首が率いる頭が、てんでに夏の都から離れることになれば、他の季軍の侵攻を招くことになります。そうした事態を憂慮されて、ヘリオス殿は三頭を一つの叛乱軍としてまとめ、自ら率いる決心をされた。しかしそれは、決して我が王に対して弓を引くためのものではなく、急過ぎる改革について、我が王に再考のきっかけを与えるためのものであったと、私は理解しております。また、その意志は、ここに長期間に亘って留まりながらも、夏の都へ一度たりとも、侵攻されなかったことからも明らかです。」
「・・・・・・。」
「先程申し上げた通り、セレネ法典についての我が王の為され様には、思慮の足りない部分があったことは否定致しません。しかし、ヘリオス殿も、あの法典の意義については、既に理解されているのではありませんか? ・・・あの法典は、夏軍の勢力を殺ぐためのものではなく、現状では戦力として見做されていない、武力に劣る多くの兵を有効に活用するために、制定されたものです。そして、フェーンの活躍によって、その考え方が正しいことが証明されたと、私は考えています。多少の紆余曲折はあると思いますが、最終的にはセレネ法典の遵守が、夏軍の戦力強化に繋がるはずです。ヘリオス殿は、そうはお考えになられませんか?」
セレネの口から聞かされた、今回の叛乱騒ぎ。最初に疑問に思ったのは、何故三ヶ月もの間、叛乱軍との間で一度の交戦も行われていないのか、ということだった。もし、本気で法典を廃するつもりなら、セレネの王位を簒奪してしまうのが最も手っ取り早い。その場合、夏の都に対する攻撃は、早ければ早いほど有利である。
実戦経験豊富で、夏軍の精鋭三頭を叛乱軍として率いるヘリオスには、それが出来たはずだ。そしてその場合、態勢の整わない夏の都は恐らく陥落し、叛乱軍はその目的を達成出来たはずだった。にも拘らず、三ヶ月もの間陣を張ったまま傍観を続けたというのは、何か他の意図があったとしか思えない。
ノルテの言葉を最後に、再び天幕が沈黙に包まれる。鋭い視線をノルテに向けていたヘリオスが、やがてふっと笑うと小さく首を振った。
「成程・・・。これは、実に大したものだ。」
「ヘリオス殿?」
「アレスを苦もなく退けた武勇に、大局を見通す広い視野。更には、叛乱軍の首魁を前にしても物怖じせぬ胆力に、秀でた弁舌の才。断言しよう、ノルテ殿。セレネ王に比して、貴殿の方が余程、夏の精霊王に相応しい。」
「ヘリオス殿! 我が王を愚弄されるのですか!?」
「いや、これは言葉が過ぎたようだ。許されよ。」
ノルテの剣幕に、ヘリオスが宥めるように両手を上げた。
「返事をする前に、一つ尋ねたい。構わぬかな?」
「・・・はい。何なりとお尋ねを。」
「ノルテ殿は、夏の精霊ではない。本来であれば、如何に我等夏の精霊が相争い、それによって仮に夏の都が没落しようとも、貴殿には何の関係もないはずだ。」
「・・・・・・。」
「今までに遣わされた使者の中にも、命を落とした者は何名もおる。今も、もし私が一声かければ、貴殿はここから生きて夏の都に戻ることは出来なくなる。これ程の危険な任務を、何故引き受けられたのか。・・・一体何故、貴殿はセレネ王にそれ程の忠誠を誓っておられるのかを、伺いたい。」
「それは、セレネ王が私を、必要としてくださったからです。」
即答したノルテは、やおら身に付けていた髪飾りを外した。やがて露わになった竜人特有の大きな耳に、ヘリオスが眼を見張る。
「私は、地竜です。私をコーセルテルで育ててくれた術士は、セレネ王と瓜二つの外見をしていました。その縁で、私はセレネ王と知り合いました。・・・私は、術士の補佐竜でした。術士や自分の妹たちを守る義務があると考えた私は、その一環として武術を極めると決め、日々鍛錬に励みました。その甲斐あって、剣術の腕は上達しましたが、術士を病から救うことはできませんでした。」
「・・・・・・。」
「術士の死後、私は独りになりました。・・・夏の精霊とは違い、地竜の一族は武力を野蛮なものとして忌み嫌います。生まれ故郷に戻ることもできず、身に付けた武を活かすことも出来ず・・・私は日々を無為に過ごすことになりました。そんな中、セレネ王から夏の都に来るように、との手紙をいただいたのです。」
「そう・・・であったのか。」
「はい。・・・私はただ、嬉しかった。自身の人生の半分以上を費やしてきた武術の腕を、誰かのために役立てられる場に、やっと恵まれると思ったからです。ですから、ヘリオス殿のご決断によって、命を落とすことになろうとも、私の中に一片の悔いもありません。」
きっぱりと言い切るノルテ。その決然たる表情は、今に言葉が紛れもない本心であることを示していた。その様子を眺めていたヘリオスが、やがて小さく頷いた。
「他者のための、武・・・か。・・・確かにそれは、これからの夏の都に必要かも知れぬな。」
「ヘリオス殿?」
「いや、何でもない。」
首を振ったヘリオスが、腰掛けていた床机から立ち上がった。その場に膝をつくと、ノルテの顔を真っ直ぐに見上げる。その態度は、完全に臣下としてのものだった。
「ノルテ殿・・・いや、ノルテ様。貴方様のお言葉通り、我等は兵を退きましょう。仮にも叛乱を企てた身、その罪は万死に値します。願わくば、処刑は首謀者である私一人に止め、アレスとクレイオス、そして部下の兵の命はお救いください。彼らは、今後の夏軍に必要な人材です。」
「結構です。お聞き届けくださり、ありがとうございます、ヘリオス殿。」
「ただし、これだけは覚えておいていただきたい。我等は、セレネ王が我等の意見を聴くことなく、独断で制定されたセレネ法典に対して、大きな不満を持っています。それ故、我等は決して、セレネ王に降るのではない。ノルテ様・・・貴方様を真の武人と認め、その武勇と胆力に敬意を表して降るのです。先程のお言葉通り、法典に関して再度検討をする機会が設けられることを、お約束いただきたい。」
「はい。我が剣にかけて、しかと誓います。」
「ははッ!」
剣を掲げ、重々しく頷くノルテ。頭を下げたヘリオスは、ここで立ち上がると天幕の入り口へと歩み寄った。そして、陣地中に聞こえるのではないかという大音声を響かせる。
「全軍に伝令を。陣を引き払う用意をせよ。我等はこれより、双璧ノルテ様に従い、夏の都へと帰還する!」
「はッ・・・はいッ! ただ今!」
ヘリオスの命令一下、陣全体が動き出す。その様子を眺めていたノルテに向かって、その隣に立っていたヘリオスが笑いかけた。
「貴方様と、出会えて良かった。貴方様はもしや、夏軍の長い歴史に華々しい名を刻むことになるやも知れませんぞ。」
「ヘリオス殿。その、“貴方様”という呼び方は、やめていただけませんか。」
「しかし、我等がノルテ様に従うという意志を明確に示すためにも、尊称は重要です。・・・ふむ。では今後、我等はノルテ様のことを“殿下”と呼ばせていただきます。皆も、左様心得よ! 良いな!」
『ははッ!! ノルテ殿下!!』
「・・・・・・。」
ヘリオスの声に、周囲に集まっていた夏の精霊たちが一斉に唱和する。困り果てた表情になったノルテは、やがて苦笑を浮かべると小さく頷いたのだった。