MOON RIVER
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レーンディア川の北岸の崖の上に立ったノルテは、夕闇に沈む夏の都を眺めていた。
城壁の各所、及び城内で焚かれる多数の火によって、闇の中に浮かび上がった夏の都は幻想的な佇まいを見せていた。周囲には人里の灯りらしいものは全く見えず、そのことが殊更に夏の都の美しさを際立たせているようだった。
今頃、三ヶ月ぶりに都に戻った三頭の兵士たちは、久しぶりに家族と憩いの時間を過ごしていることだろう。長い間の懸案事項だった叛乱騒ぎが解決したことを受けて、夏の都は遠目にも活気を取り戻したように見える。
「これで、良かったのですか?」
不意に、声をかけられた。振り向いたノルテの瞳に、歩み寄ってくるセレネの姿が映る。
やがて、ノルテと並び立つようにして夏の都に目をやったセレネが、傍らのノルテに再び話しかけた。
「貴方のお蔭で、夏の都は元の秩序を取り戻すことができました。そのことには、感謝してもし足りません。ですが、ノルテ。貴方は、夏の精霊ではありません。事が収まった今、無理に夏の都に留まる必要は、ないのですよ。」
「陛下。・・・陛下は、用済みになった私は、コーセルテルに帰れと、こう仰せになるのですか?」
「いえ、私は別に、そのようなつもりで―――――」
「もちろん、今の言葉は冗談です。」
慌てて否定の言葉を口にするセレネの様子に、ノルテはくすりと笑った。
「私の考えは、夏の都を訪れた当初に、申し上げました。既に、コーセルテルにも、また里にも、私を必要としてくれる相手はおりません。・・・願わくば、夏の都の一員として、この武の腕を活かして参りたいと、考えております。」
「それは、私としてもこちらからお願いしたいくらいですが・・・。今回の招待は、あまりに急なものでした。コーセルテルの他の竜術士の方々や、里の方々は今頃、ノルテのことを心配しているのではありませんか?」
「必要な相手には、後程手紙を出します。それで、問題はないかと心得ます。」
「しかし―――――」
「陛下。先程も申し上げましたが、ヘリオス殿からは、叛乱軍は陛下にではなく、私個人に対して投降をしたのだと、念を押されています。このような状態で、もし私が夏の都から姿を消せば、どのような事態が起こるかは、陛下もお分かりのはずです。」
「・・・・・・。そう・・・ですね。分かりました。」
「それでは・・・。お許し、いただけますか?」
「ええ。私に、それを拒む理由はありません。・・・地竜ノルテ。貴方を夏の都の一員として迎えることができて、夏の精霊王として誇りに思います。」
「はッ。ありがたき幸せ。」
その場に跪いたノルテが、大仰な返事をする。やがて顔を見合わせた二人は、穏やかに笑い合った。
「さて、では陛下。出来る限り早期に法典の取り下げと、見直しを行う旨の宣言をなさるよう、進言致します。再検討の場には、必ず法典反対派の頭首たちも加え、不公平感が残らないようになさるべきでしょう。」
「それは、無論のことです。今回は私も虚心に、法典の是非について論じることにします。」
「はい。それがよろしいかと存じます。・・・私はヘリオス殿に、法典の再検討については、我が剣に懸けて陛下を説得すると、約束を致しました。これで、私も肩の荷が下りた気が致します。」
「貴方にそこまで言われては、私に否やはありません。夏の都の未来のために、じっくりと時間をかけて議論をしようと思います。」
きっぱりと頷くセレネ。その横顔を微笑みながら眺めていたノルテは、ここでその視線を遥か下にあるレーンディア川へと戻した。
広い川面には、半月のイルベックの姿がはっきりと映っていた。その美しい佇まいから、夏の精霊たちはレーンディア川を“月の川”という別名で呼んでいると、ノルテはつい先程セレネから聞いたばかりだった。
しばらくの間、何かを考える風だったセレネが、ぽんと手を打った。
「そうですね。ノルテ、貴方を正式に夏の都に迎えると決まったわけですし、こちらも準備を急がないといけませんね。」
「準備・・・ですか?」
「ええ。仮にも、夏軍最強の三頭からなる叛乱軍を単身で降した英雄を、都に迎えるのですよ。その待遇には、それなりのものが必要でしょう。そうでなければ、私は王としての謗りを免れません。」
「陛下。私は別に、特別なものは―――――」
「いいえ。万が一、貴方への待遇に粗相があると他者の眼に映れば、ヘリオスたちも黙っていないでしょう。これは、夏の都の安定のためにも必要なことなのです。」
「そ・・・そのような、ものでしょうか・・・?」
「もちろんです。まずは、今回の功績に相応しい俸禄に、住居も必要ですね。従者の選定も早急に済ませなければ。当面の身分はアリゼ・マリティム頭首で良いとして・・・そうですね、ノルテに相応しい新しい地位も、考える必要があるかも知れませんね。」
「・・・・・・。」
指を折りながら、決めなければならない事柄を楽しそうに数え上げるセレネ。しばらくの間、その様子を半ば呆気に取られて眺めていたノルテが、やがておずおずとセレネに声をかける。
「あ、あの・・・。陛下、今後のことも結構ですが・・・その、お約束を―――――」
「ああ、そうでしたね。貴方への“ご褒美”をすっかり忘れていました。」
にっこりと微笑んだセレネが、ノルテをぎゅっと抱き締める。
「ノルテ、ありがとう。貴方のお蔭で、夏の都は救われました。」
「は・・・、はい・・・。」
「その優れた武術の腕前は、私の誇りです。これからも、その力で私たちを助けてください。」
「―――――ッ!」
長い長い自分の人生の中で、ずっと夢見ていた一言。その切なる願いは、完璧な形で終に叶えられた。
思わず涙ぐむノルテ。その震える体を、セレネは一際強く抱き締めてくれた。それは、有史以前から連綿と続く夏の精霊の歴史上で、初めて他種族が同胞として受け入れられた瞬間だった。