WINTER WONDERLAND〜冬の都へようこそ!〜
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「今年で、ここに来るのは最後になるかもしれないわ。」
「へ?」
湯気の立つココアを啜っていたミズキは、誰にともなく呟いた。その声に、傍らで“頼まれ物”のロック
ケーキを頬張っていた青年は目を丸くした。
「どうしてだよ。・・・なんか理由でもあんのか?」
「私ももう若くないのよ、センジュ。世界一の山に登るのは骨だわ。」
「んな寂しいこと言うなよ。まだまだいけるって。」
「そう言えば、あなたはちっとも変わらないわね・・・。」
自分でそう言ってから、ミズキは相手を眩しそうに見つめた。
このセンジュという青年と出会ったのは・・・ミズキが初めてこのエルウィーズに足を踏み入れた十三年
前のことだった。
夫が遭難したという報せを受け、取る物も取りあえずフェザンへ駆け付けたミズキは、そこで続報を
待った。しかし、この年のエルウィーズは例年になく天候が悪く、捜索は遅々として進まなかった。
自分が行けば、きっと夫は見付かる。そんな思いに突き動かされるようにして、ミズキは周囲の目を
盗むと一人で山を登り始めた。しかし、登山の経験がないミズキが挑むには、“霊峰”はあまりにも
大きな目標であり過ぎた。
吹雪の中で意識を失ったミズキが次に目を覚ましたのは、このエルウィーズの頂上。そして、傍らに
居たのがセンジュだった。
「それで、今年はどうだったの? 見付かった?」
「んにゃ。ヒマなときに見て回ってるんだがな、さすがにオレ一人じゃな。」
「そう・・・。」
特に期待していたわけではなかったが、それでもミズキは微かな落胆を覚え、小さく溜息をついた。
華奢な見かけにも拘らず、一人でこの“霊峰”に踏み込んできたミズキのことが気に入ったのか。
あるいは「助けられたお礼に」と差し出したロックケーキの味が忘れられなかったのか・・・もしくは、
余程の暇を持て余していたのか。
それ以来、任務でこの山を離れられないというセンジュは、「毎年自分のところにケーキを持ってくる」と
いう条件でミズキの夫を探してくれることになったのだ。
「ってえことは・・・このケーキも、今年で最後ってコトになるのか?」
「まあ・・・そうなるわね。」
「ちぇっ。これ・・・向こうでも結構好評なんだぜ?」
「でも、センジュ。あなたたちは、本来物を食べる必要はないんでしょう?」
「ああ、まあな。もちろん、うまいもんは別さ。」
答えたセンジュは、ミズキに向かって片目をつぶってみせた。
本人曰く、センジュは“冬の精霊”なのだという。冬軍という冬の精霊たちの軍隊に属し、かなりの
実力の持ち主でもあるという。「ここは、冬軍の支配地域の中でも重要なところだからな、オレが年中
見張ってるってワケさ」などと本人は胸を張っていたが、そういった話の半分もミズキは信じて
いなかった。
確かに、精霊という存在については聞いたことがあった。実際に見たことはなかったが、それを使役
する精霊術士という職業があることも知っている。普通の人間がこのエルウィーズの頂上に住んでいる
はずもなく、そうした意味ではセンジュが人外の存在であることも頷ける気がする。
しかし、精霊というものはもっと神秘的であるはずだと、ミズキは頑なに信じていた。仮にも、人間の
前に堂々と姿を現して親し気に話をしたりはしないはずだ。もちろん、冬の厳しいエクセールで長年
過ごしながら、一度も“冬の精霊”の姿を見たことがないという自身の経験もあった。
「こういうの、何とかって言うんだろ。えーとホラ、アレだよ・・・腹がどうとかってヤツ。」
「・・・“別腹”?」
「そう、それだ!」
(随分違う気がするけど・・・)
手をぽんと打ったセンジュの様子に、ミズキは懐かしそうな表情を浮かべるとくすっと笑った。「ほら、
あれだ・・・」というフレーズは、ミズキの夫の口癖だったからだ。
身なりは全く異なっていたが、センジュはその声、そして何気ない仕草まで夫にそっくりだった。こうして
年に一度会い、目を閉じて会話していると・・・束の間、夫と過ごしているような気分になれるのだ。
長年、辛く厳しい道のりを経てエルウィーズの頂上へとミズキが通い続けて来たのは、ひとえにこの
センジュ・・・いや、夫の「幻影」に逢うためだったと言っていい。
「そうだ。ミズキ、一度都に遊びに来ないか?」
残りのロックケーキを丁寧に包みにしまったセンジュは、何気ない様子でミズキに向かってこう
切り出した。
「都?」
「ああ。・・・いつか話したことあったろ? オレたちの都があるって、さ。」
「ええ、聞いたことがあるような気がするけど・・・。」
「もうここには来ないかもしれないんだろ? じゃ、最後の記念にさ。」
センジュは時々、自身の故郷について話してくれることがあった。それによると、北の果てには彼ら
冬の精霊が集う大きな町があるのだという。もちろん、その話も含め・・・一種荒唐無稽な彼の話を、
ミズキは本気にしていたわけではなかった。
びっくりした顔になったミズキに向かって、センジュはにやっと笑ってみせた。
「こんなチャンスは滅多にないぜ? 何たって、オレたちの都は基本的に部外者は出入りできないん
だからな。」
「でも・・・いいの?」
「ああ。大きな声じゃ言えないがな、夏の間は基本的にヒマなんだ。・・・それに・・・」
「それに・・・?」
「いや・・・なんでもない。・・・さ、どうする? 来るのか、それとも来ないのか?」
「・・・・・・。」
ミズキの脳裏には、夫がこの山で消えてからの十数年のことが去来していた。
始めの数年は、夫を探すために必死だった。行方不明とされていた夫が国によって正式に死んだと
認定されてからの数年間は、あわよくば自分もその傍らで眠りたい・・・と思って随分と無茶もした。
そして、それ以後は・・・そう、このセンジュに会うためだけにここに来ていたような気がする。
もし、センジュを含め全てが自分の見ている幻影で、これで命を落とすようなことになったとしても。
・・・もう、悔いはなかった。
「そう来なくっちゃな!」
ゆっくりと頷いたミズキに向かって、センジュはにっと笑うと親指を立ててみせた。そして、その場で
後ろを向くと片膝をつく。
「さ、背中につかまれよ。冬の都までは結構あるからな・・・途中で落ちないようにな。」
「・・・分かったわ。」
「行くぜ!」
センジュに背負われる格好になったミズキは、そのまま静かに目をつぶった。ややあって、自分の体が
ふわりと宙に浮く感覚があった。