風のレジェンズ
プロローグ
1
2
3
4
5
エピローグ
−1−
また、誰かに呼ばれたような気がした。
アレクは振り向くと空の彼方を眺めた。眼鏡越しに見える空は、どこまでも青く吸い込まれそうだった。
(・・・気の、せいかな・・・)
「・・・アレクー! そんなところで何ぼんやり突っ立ってるんだよ!」
「あ、今行くわ・・・。」
仲間の声に、アレクは我に返るとそちらに歩を向けた。
目の前には、深い峡谷が横たわっていた。そう離れていない場所に一本の吊橋があり、仲間たちは
既に全員が橋を渡り始めていた。
「よせよ、あいつのぼんやりは今に始まったことじゃないだろ。」
「違いない。今に立ったまま寝始めるんじゃないかと、俺は心配で・・・」
「あはは、そんな言い方をしちゃ悪いわよ!」
(かなわんなぁ・・・)
聞こえてくる仲間たちの軽口に、橋の袂へと向かっていたアレクは苦笑いを浮かべた。もちろん、
一々腹を立てたりはしない。その言葉に悪気がないことは分かっていたからだ。
華々しい印象のある「冒険者」という職業だが、どんな組織でもそうであるように、必ず「縁の下の
力持ち」は必要である。
探索の最中であれば、パーティーの装備品の保守や管理、そして食事を初めとする野営のための
様々な準備。そして無事町に戻ったら戻ったで、宿泊場所の確保や戦利品の処分といった大切な
仕事が待っている。地味だが、確かな知識と強かな交渉術がなければこなせない役割であり、時に
大きな危険を伴うこともあるこの職業の“実入り”を決めるのは、実はこうした裏方の働きなのだった。
精霊術や剣技といった、ある意味冒険者の“花形”とも言える技術を身に付ける機会に恵まれず、また
元来そうしたものが好きでもなかったアレクの役割は、自然とこうしたものになっていった。もちろん、
冒険者の実際をよく知らない者からは、時として“雑用係”としての蔑視を受けることもあったが・・・仲間
たちはアレクの能力を認めており、アレクも自分の役割に満足していた。
(こんな吊橋を渡ってる最中にロープが切れたりしたら・・・間違いなく助からんやろな・・・)
吊橋の前に立ったアレクは、束の間そんなことを考えた。谷の幅は一リッジは優にあり、手製の橋を
架けることなど到底覚束ない。向こう側に渡るには、やっと見つけたこの橋を使うしかないのだ。
(これが小説やったら・・・ここで橋が落ちるんは、“お約束”やもんな・・・)
しかし、この谷を越えることができれば、いよいよそこは今回の探索の目的地・・・コーセルテルの
はずだった。
今回のコーセルテル探索を提案したのは、実はアレクだった。常にパーティーの裏方に徹し、今まで
そうした意思表示をしたことのなかったアレクの初めての希望とあって、仲間たちもそれを受け入れて
くれた。そして今、その夢は実現しようとしている。
(もしかしたら、ここがボクの・・・)
期待と不安に胸を高鳴らせながら、アレクは吊橋に足を踏み入れた。
一歩、二歩、三歩。
どうやら、大丈夫そうだ・・・とアレクがホッとしたその刹那、吊橋を支えていたロープがアレクの背後で
ぷっつりと切れた。
(な・・・う、ウソやろ!?)
仲間たちの悲鳴。
スローモーションで目前に迫る対岸の崖。
しっかりとロープを握ったまま、アレクは固く目を閉じた。
永遠にも思える一瞬の後、全身に衝撃が走る。・・・アレクの意識はその瞬間を境に途切れた。
*
(ん・・・)
どのくらい時間が経ったのだろうか。
意識を取り戻したアレクの目に、自分たちがやってきたと思しき崖が映る。しかし、何か変だ。視界の
端に僅かに覗いている青空は、なぜか上ではなく下にあった。
(あぁ、逆さまになっとるからか・・・)
その理由にハタと気付いたアレクは、改めて周囲を眺めた。
どうやらここは、崖の側面にできた溝のようだった。見渡せる範囲には他の仲間の姿は見えない。
・・・恐らく、皆この谷底へと落ちてしまったのだろう。
何はともあれ、ここから出なければならない。
手が動くことを確かめ、両手で体を支えて起き上がる。背負っていたリュックサックのお蔭で、直接
岩壁に叩き付けられるのは避けられたらしく、首や背骨は無事なようだった。しかし、両足を地面に
下ろした際に走った激痛に、アレクは思わず顔を顰めると呻き声を上げた。
(あ・・・あかん、折れとるわ・・・)
座るのを諦めたアレクは、その場に倒れこんだままこの先のことを考えた。
幸いにも、食料や水は多少の持ち合わせがあり、すぐに死に直面するというわけではない。しかし、
アレクは今一人きりだった。そのための道具もなく、折れた両足を抱えているこの状況では、とても
ここから崖を一人で登ることなどできそうになかった。
かと言って、誰かが救助に来てくれる可能性もゼロである。ここは中央山脈の中心部・・・まさに「人跡
未踏の地」という言葉が相応しい場所であり、運良く誰かがここに来るとしても、それこそ何年後に
なるか分からない。
・・・この場所からの自力での脱出は、誰がどう考えても不可能だった。
(うーん・・・どないしよ・・・)
眉を寄せて考え込むアレク。その時、彼の視界を小さな影が横切った。
顔を上げたアレクの目に飛び込んできたのは、濃い藍色の髪の少女だった。アレクに気付いたらしい
少女は、その束ねた長い髪を風になびかせながらアレクの方へと小走りに近寄ってきた。
(なんや・・・もう幻覚を見てるんか?)
しばらくの間、少女は不思議そうに倒れたままのアレクを眺めていたが、やがてその場にしゃがみ
込むと、徐に口を開いた。
「ね、なにしてるの?」
(なにって・・・)
「キミには・・・魚でも釣ってるように見えるんか?」
「魚? この谷には、川はないけど。」
「・・・・・・。」
アレクの精一杯の皮肉は、どうやら相手の少女には通じなかったらしい。不思議そうな表情を浮かべた
ままの少女の様子を目の当たりにして、アレクは小さく溜息をついた。
「吊橋が落ちてな。・・・ボクだけ、運良くここにひっかかって助かったみたいなんや。」
「ふーん。」
「けどな、足がイカレてしもて・・・どないしてここから出よか、考えてたところや。」
アレクの説明に、少女は頷くとにっこりと笑った。
「そうだったんだ。それなら、あたしの家においでよ。ケガしてるんなら、手当てしないといけないし
・・・。」
「それならって・・・。ここから、どないして上にあがるつもりなんや?」
見れば、少女は崖を登り降りするのに必要な道具を持っているようにも見えない。そもそもここにどう
やって現れたのかも疑問であり、とてもここから崖の上へ戻れるとは思えない。・・・それも、大怪我を
した自分がいるのだ。
アレクのこのもっともな疑問に、少女は首を振るとこともなげに答えた。
「そんなの簡単よ。飛べばいいじゃない。」
「はぁ?」
「はい、肩につかまって。」
「・・・・・・。・・・こうか?」
半信半疑で、目の前に片膝をついた少女の肩に掴まるアレク。少女は、肩越しにアレクを振り返ると
にっこりと笑った。
「しっかりつかまっててね。落ちたら大変だから。」
「は、はあ・・・。」
目を閉じた少女の体を、瞬く間に風が包み込む。ややあって、二人の体はふわりと宙に浮かび
上がった。
(と・・・飛んどる! ほんまに・・・)
崖の上に出ると、少女はそのまま南に向かった。
やがて、周囲を眺めていたアレクの目に、滴るような緑が飛び込んできた。周囲およそ数リーグと
思しき平地。その中央には一際大きな山が聳え、麓には小さな湖も見える。見渡す限り荒涼たる
山々が連なっているはずのこの場所には、どう考えてもあり得ない光景である。
一目見た瞬間アレクは確信した。これが、伝説の地・・・コーセルテルなのだと。