風のレジェンズ  プロローグ      3      エピローグ

 −3−

アレクがコーセルテルに足を踏み入れてから、あっという間に二月が過ぎた。
風竜術士エカテリーナの家の近くに広がる草原。そのほぼ中央に寝巻き姿で寝転んだアレクは、
ぼんやりと夜空を眺めていた。
この世界に二つある月の、今日はそのどちらの姿もない。しかし、満天の星空から降り注ぐ星明りに
よって、草原を取り巻く林や岩山の姿ははっきりと認めることができた。

(ふう・・・今日も暑いわ。めげそうや・・・)

寝巻きの襟元を大きく開け、アレクは大きく溜息をついた。
火竜の月も終わりに近付き、今が一年で最も暑い時期である。寝付けない夜は、こうして家の近くの
草原に散歩に来るのが、いつの間にかアレクの習慣になっていた。

(それにしても・・・まさか、この「伝説の地」でも家事に追われることになるなんてな・・・)

今日も朝から大変な一日だった。そのことを考え、アレクはくすっと思い出し笑いをした。
アレクが当初から睨んでいた通り、この家の住人は皆家事という家事が大の苦手だった。当番制で
賄われているそのどれもがお世辞にも「まとも」だとは言えない状態で、アレクにはとても放って置ける
ものではなかったのだ。
こうして炊事・洗濯・掃除と、見るに見かねたアレクが手伝いを申し出る度にそれがそのまま彼の
担当になり・・・結果的に、今ではアレクはこの家になくてはならない人間になっていた。

(まあ・・・しゃあないか。術士がそもそもあれやからな・・・)

こうして生活をするうち、アレクにも少しずつこの地のことが分かってきた。
伝説の地と言われていたコーセルテルは、こうして実在した。伝説の存在のはずの竜・・・そして、
それを育む竜術士も同様である。だが、肝心の竜は「巨大な獣の姿をし、獰猛で危険な生き物」と
いう言い伝えとは大きく異なる存在だった。
“竜人化”という方法でほぼ人間と同じ外見を具えた彼らは、その行動も人間と何ら変わらない。嬉しい
ときには笑い、悲しいときには泣く。その様子を見るにつけ、アレクには彼らがまるで人間のように
思えてくるのだった。
そして、アレクを助けてくれた少女・・・エカテリーナもそんな竜の血を引いているのだという。

(いや・・・“少女”いうんは違うたな・・・)

その性格や立ち振る舞いから、出会った当初からアレクはエカテリーナのことを自分よりもかなり
若いと思っていた。それだけに、彼女が実は自分と同い年であると知ったときは驚いたものだった。
エカテリーナは、ここの生まれだという。では、他の竜術士たちもそうなのだろうか。
風竜たちの話によると、このコーセルテルには彼らの他にも様々な種族の竜がいるのだという。竜術士
不足のために一時よりも減ったとはいえ、このコーセルテル全体では数十名になるとのこと。その
他にも種々の精霊や、幻獣人と呼ばれる人々も存在するらしい。
本当は、リハビリを兼ねて自分の足でコーセルテルを歩いてみたかった。
当然、エカテリーナにはそう言った。しかし、普段は笑顔で何でも頼みを聞いてくれるはずの彼女が、
この件に関してだけは厳しい顔で首を横に振ったのだった。
『郷に入りては郷に従え』という諺もある。何か理由があるのだろう・・・と思って言われた通りにしては
いたが、窮屈なことには違いなかった。
そもそも自分は闖入者なのだ・・・やはり、歓迎されないのも無理はないのかも知れない。足が癒えた
今、そろそろここから出て行くことも考えないといけないのだろう。

(・・・・・・)





「あ、いたいた〜。」

様々なことを考え、いつの間にかうとうとしていたアレクは、不意に聞こえてきた声に閉じていた目を
開いた。続いて声の方を見上げ・・・次の瞬間真っ赤になった。

(う・・・わっ!)

声の主はエカテリーナだった。草原に寝転んでいたアレクの隣にふわりと降り立った彼女は、なんと
夏用の薄い寝巻き一枚の出で立ちだったのだ。
星明りに照らされたエカテリーナは、まるでおとぎ話に出てくる妖精のようだった。翳りのない笑顔を
見つめていると、まるで吸い込まれそうになり・・・アレクはそんな彼女から慌てて目を逸らした。
草原に腰を下ろしたエカテリーナは、膝を抱えると明るい調子でアレクに声をかけた。

「家にいなかったから、ちょっと探しちゃった。」
「あ・・・そ・・・そうか? 心配かけたかな。」
「ううん、いいよ。・・・やっぱり、眠れない?」
「あ・・・ああ、うん、・・・そうなんや。」
「だよねー。実はあたしもそうなんだ〜。」

にこにこしながらそこまで言ったエカテリーナは、アレクの足に目をやった。

「足の調子はどう?」
「ああ・・・おかげさんで。昔みたいに山歩きするには、まだちょっとかかりそうやけど・・・。」
「そう、よかった。」

にっこりと笑ったエカテリーナは、アレクの隣に寝転んだ。

「なあ・・・エカテリーナ。・・・そのカッコ、もう少し何とかならへんのか?」
「え? なに?」
「仮にも、いい年なんやから・・・もうちょっとやな・・・」
「もう、アレクったら・・・大丈夫、誰も見てないって!」
「・・・ボクが、おるんやけどな。」
「え?」

ここで何気なく振り向いたアレクは、首を傾げたエカテリーナと正面から見つめ合うことになった。
疑うということを知らない、真っ直ぐな瞳。そして、真夏の太陽のような明るい笑顔。
・・・思わずまた赤くなってしまったアレクは、慌ててエカテリーナから目を逸らした。

「そんなことよりさ! 今日も、話を聞かせてよ。」
「分かった分かった。・・・今日は何がええ?」

こうして二人きりになると、エカテリーナはいつもコーセルテルの外の世界の話を聞きたがった。
そして、アレクもできる限りそれに応じるようにしていた。
未知の世界に憧れ、そこへ飛び出していきたいと願う気持ち。それは、自らも故郷を捨てて冒険者と
なったアレクには痛い程分かった。しかし、彼女が“竜術士”としてこの地に縛られている限りそれは
叶わない。・・・ならばせめて、自分の経験を語ることが少しでも彼女の慰めになればと思ったからだ。

「えっとね・・・!」

エカテリーナは、指折りしながら目を輝かせた。
夏の夜は、静かに更けていく。


  *


(あれ・・・)

ふと夜中に目を覚ましたフリストフォールは、隣のベッドが空なのに気付いた。そのまましばらく
待ったが、隣のベッドの主であるはずのアレクが戻ってくる気配はなかった。

(またか・・・)

首を振ったフリストフォールは、自分のベッドから立ち上がった。反対側のベッドで眠っているレナートを
起こさないようにして寝室を出る。
深夜にアレクが寝室から姿を消しているのにフリストフォールが気付いたのは、実はこれが初めてでは
なかった。
他の竜術士たちに見付からないように、エカテリーナはアレクに昼間の外出を固く禁じていた。アレクも
忠実にそれを守っていたが、だからといって一日中家の中に籠もりきりでは、さぞかし気が滅入ること
だろう。
もともと、コーセルテルを目指して旅をするような人間なのである。風竜であるフリストフォールには、
“外に出たい”というアレクの気持ちはよく分かった。

(それにしても・・・毎回、どこに行ってるんだ?)

何となく興味に駆られたフリストフォールは、家の中をざっと見て回ることにした。
アレクの定位置である台所、それから順に食堂、居間、そして玄関前。しかし、そのどこにもアレクの
姿はなかった。

(とすると・・・やっぱり外か?)

コーセルテルの地理には明るくないアレクのことだ・・・遠出をしているということは考えにくい。恐らく、
家の周囲にいるに違いない。
玄関のドアを開け放ったまま、少しの間腕組みをしていたフリストフォールは・・・やがてにやりと笑うと
音もなく空へと舞い上がった。

(へへっ・・・いっちょ、驚かしてやるか)


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