blue water
プロローグ
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エピローグ
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(間違いない、これはフェスタ宮廷の祭祀記録だわ・・・)
ここは、ナーガの最南端に位置するチェレス島。点在する遺跡の一つの最深部で、壁一面の古代
文字を前にした言語学者ウィンシーダ・ベアトリクスは目を輝かせた。


(うーん・・・具体的な名前の記述がどこかにないかな・・・)
ちゃきっ。
ランプをかざし、夢中になって壁面の古代文字に目を走らせていたウィンシーダの首筋に、ふいに
冷たいものが押し付けられる。そして、背後から押し殺した声。
「・・・動くな。その場に座って、両手を上にあげるんだ。」
しかし、このお決まりの文句にもウィンシーダは小さく肩を竦めただけだった。そして、変わらぬ調子で
壁の文字を見ながら後ろも振り返らずに言う。
「別に縛り上げたりしなくても、逃げたりしないわよ。・・・誰だか知らないけど、今いいところなんだから
邪魔しないで。」
「な・・・!?」
「武器を持ってないことくらい、すぐに分かるでしょ。それとも、まさかこの細腕で君を倒せとでも?」
「・・・・・・。」
「ほら、剣をしまいなさいよ。相手の言うことを信用しないのは悪い癖よ?」
「お前、自分の置かれてる立場が・・・」
「もちろん分かってるわ。この暗闇の中で気配を消したまま人の背後に立てるような凄腕の剣士から、
今日初めてここに足を踏み入れたか弱い女が一人で逃げ切れるなんてちっとも思ってやしないわよ。」
ややあって首筋に当てられていた剣が引かれ、ここで初めてウィンシーダは後ろを振り向いた。
暗闇の中、ランプの光に照らされて浮かび上がったのは、鉢巻をしたまだ若い男の姿だった。腰には
見分不相応とも言える立派な剣を帯びている。
(あら、意外といい男じゃない・・・)
苦々しげな様子の相手に向かって、ウィンシーダはにっこりするとこう切り出した。
「ありがとう、助かったわ。流石に首に剣を当てられたままじゃ気分が悪いものね。」
「あんたみたいな反応は初めてだな。普通は腰を抜かすか、悲鳴を上げて逃げ出すところだ。」
「ふふ、そんなことをしても何もならないでしょ。それに、殺気がないことは初めから分かってたし。」
「・・・あんた、いい度胸してるな。女にしておくのはもったいないぜ。」
「よく言われるわ。」
再びにっこりしたウィンシーダは、ここで相手に向かって手にしていたランプを差し出した。
「そうだ、そこで黙ってつっ立ってるのもなんでしょう? しばらくの間、このランプで壁を照らしてて
くれないかしら。」
「・・・そう言えば、さっき“いいところ”とか言ってたな。何をしてたんだ?」
「この壁にね、古代文字が書かれてるの。どうやら古代フェスタの祭祀の記録みたいなんだけど・・・」
「へえ・・・あんた、この文字が読めるのか?」
相手の男は、ウィンシーダの言葉に興味を持ったようだった。ランプを受け取った男は、壁一面に
書かれた文字を眺める。
「ええ、これが専門だから。それで、ここの文字を書き写して帰りたいんだけど、両手がふさがってると
できないでしょう? 困ってたのよ。」
「専門?」
「ああ、自己紹介がまだだったわね。私はウィンシーダ・ベアトリクス。竜都ロアノークの大学で教授を
やってるの。」
「俺はランバルス。・・・教授っていうと、あんたお偉いさんなのか?」
「かもね。で、専門は言語学で今は古代文字を研究してるんだけど・・・いかんせん資料にろくなものが
なくてね。だからこうして一人で、色々な場所の遺跡に行っては研究の資料を集めてるってワケ。」
「なるほどな。だが、そんなのは他の奴にやらせればいいんじゃないか? 危険だろうに・・・」
バインダーと筆記用具を手に、文字を書き写すのに余念がなかったウィンシーダは、このランバルスの
もっともな言葉ににべもなく首を振った。
「ダメよ! みんな、どれが価値ある資料かも分からないんだから!」
「そんなものなのか・・・?」
「そうよ! そのくせ、みんな自分が見つけたものは価値あるものだって信じて疑わないんだから・・・
全く始末に負えないわ。」
「はは・・・そりゃ大変だな。」
口を尖らせたウィンシーダの様子に、ランバルスは苦笑いした。
「ところで、ここには何が書かれているんだ? さっき祭祀とかって言ってたが・・・」
「あら、興味あるの?」
「ああ・・・ひょっとしたら、何かお宝に関係あることが書かれてるかも知れないだろ?」
「お宝・・・ね。まあ、残念ながらここに書かれてる内容だとその望みは薄いと思うけど・・・ほら、ここを
見て。」
「ん?」
ウィンシーダがペンで指した先に、ランバルスは顔を近づけた。



「・・・俺には何が何だかさっぱりなんだが。」
「あ、そうだったわね。えーとこれはね、竜王の“継承の儀”について書かれたものらしいのよ。」
「継承の儀?」
「ええ。古代フェスタも王政でね、大体二百年に一回くらいの割合でその“竜王”が交代してるんだけど、
その時の儀式のしきたりについて書かれているみたい。」
「竜・・・か。そう言えば、このナーガの七つの島には、竜のそれぞれの種族の墓があった・・・って
聞いたことがあるが。」
「へえ、詳しいじゃない。」
ランバルスの言葉に、ウィンシーダは驚いたように目を見開いた。
ナーガは島嶼国家であり、北からクート・エルタム・オノトア・エイル・シーリタス・チェレスの大小六つの
島と、北大陸の一部であるアヴォリア半島がその領土である。その七つの地域がそのまま自治単位と
なって各々特色ある商業政策を展開、各国への水上の便が良いこともあって世界で最も商業の盛んな
国家となっている。
古代フェスタは、ナーガと領土を接する南大陸の北端にかつてその中心があった。このためか、ナーガ
全土には真竜族の遺した遺跡が点在しているのだが、その多くは今でも未調査のままになっているの
だった。
「実はね、今私はとある理由から四千年ほど前の・・・ある水竜王の墓を探してるの。さっき君が言った
ように、このナーガのどの島が水竜のものだったのかがまだ分からないんだけど・・・今日の収穫で、
もしかしたらそれが分かるかも知れないわ。」
「お・・・おいおいちょっと待て。さっきあんたは、資料を手に入れるためにここに来たって言ってたな。
それは、研究のためじゃなかったのか?」
「そりゃ建前はそうよ・・・だって、そう言わないと時間を取れないんですもの。もちろん、持ち帰った
資料が言語学の役に立ってるのも事実だけど。」
「まさか、一人で色々な遺跡に入ってるってのは・・・」
「そう。半分は私の趣味なの。」
ウィンシーダはちょろっと舌を出すと、悪びれもせずに言い切った。
「呆れたな・・・。」
「そうかしら。君に言われる筋合いはないと思うんだけどな?」
「・・・・・・。」
「もちろん、私の本当の夢はまた違うところにあるんだけど・・・」
ふいに遠い目になって呟いたウィンシーダに、ランバルスが問いかける。
「それは、何なんだ?」
「もし、機会があったら話してあげるわよ・・・私がここから生きて出られたらね。・・・さ、待たせたわね、
行きましょ。」
「行くって・・・どこへだ?」
面食らった様子のランバルスに向かって、文字を書き写したノートを背負い鞄にしまっていた
ウィンシーダは肩を竦めて見せた。
「ちょっと、寝惚けないで。君は私を見つけたとき、一体どうするつもりだったの? ・・・大方、自分
たちのアジトにでも連れて行くつもりだったんでしょ。」
「ああ・・・っておい! 何でアジトのことを・・・」
「ちょっと考えれば、こんな遺跡の奥に人間がいるなんておかしいってすぐ分かるわ。どうやら私
みたいな研究者でもないみたいだし、となれば残された可能性はそれほど多くないわ。ランバルス、
君はアレでしょ・・・いわゆる“盗賊団の用心棒”。違うかな?」
「う・・・いやその、なんだ・・・。」
図星を刺されてうろたえるランバルス。その様子を見て、ウィンシーダは溜息をついた。
「全く、よくそんなお人よしで用心棒が務まってるわね。私は君たちにとって侵入者なのよ?」
「いや、あんたがあんまり落ち着き払っているもんだからな。さっき会ったばかりとは思えなくて・・・。」
「・・・それ、もしかして私を口説いてるつもり?」
「なっ・・・バ、バカな、そんなわけ・・・!」
「はいはい。じゃ、アジトへ案内してもらえるかしら?」
「くっ・・・。こっちだ、ついて来い。」
こうしてランバルスは赤くなったまま、ウィンシーダを従えると遺跡の奥へと歩き出したのだった。