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blue water


 −プロローグ−

「こんにちはー!」

地竜術士の家の玄関のドアをノックした水竜のリリックは、回覧板を抱え直すとドアが開くのを期待に
満ちた面持ちで見守った。
常日頃から水竜術士家の家事全てを押し付けられているリリックだったが、その中でこの「回覧板を
届ける」という仕事はリリックにとって数少ない楽しみの一つだった。というのも、水竜術士の家の次に
回覧板が届けられるのは地竜術士の家であり、そこには彼にとって“本命”である地竜のユイシィが
いるからである。

「おう、リリックか。どうした?」

しかし、いつものことながら運命はリリックに対して過酷だった。こう言いながら玄関のドアから顔を
出したのは、この家の主である地竜術士のランバルス。・・・リリックの表情が見る見るうちに翳って
いく。

「あ、その・・・回覧板を持ってきたんですけど・・・。あの、ユイシィは・・・?」
「ユイシィ? ああ、あいつならちょっと今出かけてるぞ。」
「そんな・・・」

回覧板を受け取りながらのランバルスの言葉に、リリックはがっくりとうなだれた。

「・・・何かユイシィに用でもあったのか?」
「いや、あの、その・・・ちょっと・・・。」
「そうか? 多分ユイシィはもうすぐ帰ってくると思うんだが・・・何なら上がって待ってるか?」
「え・・・いいんですか!?」
「ああ。少しくらいなら構わんだろ。」

ランバルスの提案に、リリックは弾かれたように顔を上げるとパッと目を輝かせた。

(やれやれ・・・若いっていいねぇ・・・)

心の中でぼやきながら、ランバルスはリリックを家の中に招き入れた。

「お邪魔しますー!」
「おう。・・・応接間で待っててくれ、今茶の一つも淹れて持っていくから。」
「あ、それだったらぼくが・・・」
「いいっていいって。たまには“お客様”になるのもいいだろう?」
「そうですか? じゃ、お言葉に甘えて・・・。」

ランバルスにこう促されたリリックは、喜色満面といった様子で応接間のソファーに腰掛けると辺りを
見回した。いつもは「用もないのに・・・」とユイシィに戸口でけんもほろろに追い返されてしまうため、
実はリリックが地竜術士の家の中に入ったことは数えるほどしかないのだった。

(ふーん・・・これがユイシィの暮らしてる家なんだ。・・・あれ?)

ふと、リリックは応接間の片隅に置かれた戸棚の上に小さな箱が置いてあるのに気が付いた。その
蓋には、なぜかランバルスが司る「地」ではなく「水」の紋章が彫られている。

「おう、待たせたな。」

もっとよく見ようとリリックがソファーから腰を浮かせかけたとき、ランバルスが応接間に戻ってきた。
そして「いつもはユイシィにやってもらってるからな・・・」と言い訳をしながら、テーブルの上に慣れない
手つきでお茶の支度を始める。

「ねえランバルスさん、あそこにある箱なんですけど・・・」
「箱?」
「はい。ほら、あの戸棚の上にある・・・。」
「ああ・・・あれはオルゴールだ。」

支度を手伝っていたリリックに言われて戸棚の方を振り向いたランバルスは、あっさりとこう答えた。

「へえ・・・オルゴールなんですか。」
「ああ。・・・聞いてみるか?」
「あ、はい。」

リリックが頷いたのを見て、ランバルスは戸棚の方へ歩み寄るとオルゴールの蓋を開けた。たちまち
応接間にオルゴールの透明な響きが満ちていく。
それは初めて聞く曲のはずだったが、なぜかリリックにはとても懐かしいもののように感じられた。
いつしかリリックは故郷の・・・水竜の里のことを思い出していた。里の風景、そして懐かしい両親の
面影・・・目を閉じればそれらが瞼の裏に鮮やかに蘇る。
じっとオルゴールから流れる曲に耳を傾けていたリリックに向かって、ランバルスがゆっくりと
問いかける。

「・・・どうだ?」
「あ・・・はい、何だか水竜に伝わる曲みたいな感じですね。里が懐かしくなっちゃいました。」
「・・・・・・。」
「ところで、ランバルスさんはこういう曲が好きなんですか? あ、それともユイシィの好みなのかな。」

幸せそうな様子でこう口にしたリリックとは対照的に、ランバルスは遠い目になるとしばらくしてただ
一言、ぽつりと呟いた。

「・・・さあな。」
「さあ・・・?」
「実はな、俺にはこのオルゴールの音が聞こえないんだ。いや、俺だけじゃない・・・ユイシィたちも
含めて、この家にいる誰一人としてこのオルゴールの音が聞こえたやつはいない。」
「音が聞こえない・・・って、そんなまさか! だって、今こうして鳴ってるじゃないですか!」

ランバルスの意外な言葉に、リリックは思わずソファーから立ち上がった。

「これは俺の推測だが・・・恐らくこのオルゴールは、水の力がない者には聞こえないようにできているん
だろうな。俺には水の資質がないし、ユイシィたちは地竜だから・・・聞こえなくて当然、というわけだ。」
「でも、どうして・・・!」
「それは、このオルゴールを作らせたのが古の水竜王だからなんだろう。」
「水竜王?」
「ああ。ほら、見てみろ。」

ここでランバルスはオルゴールの蓋を閉めると、きょとんとした表情になったリリックにオルゴールを
手渡した。

「箱の蓋に水の紋章が彫ってあるだろう? それがその証さ。」
「はい、それはさっき気が付きましたけど・・・。でも、それだけじゃ誰が作ったのかなんて分からないじゃ
ないですか。」
「・・・・・・。」

ランバルスはリリックのこの質問には答えずに、開け放たれていた応接間の窓から外の様子を
眺めた。午後の麗らかな日差しが窓を通して応接間に射し込み、家の近くの緑が目に鮮やかである。

「このオルゴールはな、俺とあいつが初めて二人だけで行った遺跡の奥で見つけたものなんだが・・・
その時に、これを持って行くよう言ってくれた相手にな、そう言われたのさ・・・。」
「あいつ・・・って、もしかしてランバルスさんの奥さんのことですか?」
「そうだ。・・・と言っても、まだ知り合ったばかりの頃のことだがな。」
「うわあ・・・聞かせてくださいよその話!」

人の色恋沙汰には目がないリリックは、このオルゴールがランバルスのかつての伴侶に関係あると
分かった途端に目を輝かせた。そんなリリックの様子に苦笑いしながらも、こうしてランバルスは少し
ずつ当時のことを語り始めたのだった。

「そうさなぁ・・・。あいつと初めて会ったのも、とある遺跡の中だったな。」


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