萩野原  プロローグ  1            エピローグ

 −1−

わたしは、夢を見ていた。

どこまでも広がる、白い萩の野原。
麗らかな日差し、澄み切った青空。そして、心地よい微風。
そこには、死んでいく竜たちの姿も、焼け落ちていく建物もない。
絵に描いたような平和な風景が、そこにはあった。

夢の中には、人影が一つ。わたしと同じくらいの少年。
逆光のため顔は見えないのだが、
少年は楽しそうに笑いながらわたしを呼ぶのだ。
そして、わたしは・・・笑っていた。
理由は分からないけれど。

少年まであと少し、というところでわたしはつまずいて転ぶ。
見上げると、少年はまだ笑っている。翳りのない笑顔。
「早く、おいでよ・・・」
そして、目の前で消えるのだ。



  *


(・・・夢・・・)

ベッドの中で目を覚ました暗竜のエストは、ゆっくりと上体を起こした。
室内に設えられた窓からは朝の光が僅かに射し込んでいる。ほどなく、世話役のミーネがやって
くるだろう。

(また、この夢・・・)

起き上がったままの格好で、エストはじっとしていた。
あの場所はどこなのか。少年は誰だったのか。そして、呼ばれていた名前は・・・全て、思い出せない
ことばかりだった。

「おはようございます、フェリシテ様。・・・もうお目覚めですか?」
「うん・・・。」

扉の向こうから、地竜のミーネの声がした。物心ついたときから宮廷で暮らすエストの身の回りの
世話をしてくれているのは、この勤勉な地竜だった。
カチリ、と鍵の開く音がして重い扉がゆっくりと開く。笑顔で寝室に入ってきたミーネは、エストの顔を
見た途端に青ざめた。

「フェリシテ様! ど・・・どうなされたのです、涙など!」
「え・・・?」

言われて自らの頬に手をやったエストは、初めてそこが濡れていることに気が付いた。

(泣いていた・・・わたしが・・・なぜ?)

「・・・夢を・・・」
「夢? 怖い夢をご覧になったのですね! もう大丈夫です、私がここにおりますから・・・。」

ミーネはぎゅっとエストを抱きしめてくれた。

「・・・落ち着かれましたか?」
「うん。・・・ありがとう。」
「いいえ。これが私の務めですから。」

その言葉を聞いて、不思議とエストは寂しくなった。

(務め・・・母さんがいたら、こういう時・・・なんて言うのかな・・・)

物心ついたときに既に父母を亡くしていたエストにとって、このミーネは母親代わりと言っても過言
ではなかった。しかし、彼女にはミーネが、ある程度のところで壁を作っているように感じられて
ならなかった。
叱られることはなかったが、甘えることも許されなかった。頼んだことは何でも叶えてもらえたが、
理由なく一緒にいることはできなかった。

「さあ、では朝食をどうぞ。あと三十分ほどでお仕事の時間ですよ。」
「うん。」
「何かあったらお呼びください。扉の向こうに控えておりますから。」
「・・・・・・。」

持ってきたトレーをテーブルに置くと、ミーネは部屋を出て行った。再び扉が閉ざされ、鍵がかけ
られる。それをぼんやりとした表情で眺めていたエストは、のろのろとベッドを出ると、テーブルに
座った。
食事はいつも豪華だった。だが、閉ざされた薄暗い部屋で一人摂る食事には、温かみはまるで
感じられなかった。

(たまには、誰かと一緒に・・・外で食べたいな・・・)

窓から外を眺めるエスト。鉄格子によって遮られた窓からは、それでも宮廷の建物越しに僅かに
クランガ山を望むことができた。いつか宮廷を出て、外の世界を見てみたい。エストのこの小さな
願いは、・・・残念ながら叶えられる見込みはなかった。

魔獣族との間の戦争は、勃発から既に五百年を経過していた。開戦直後に暗竜王アゼットが怒りの
あまりコーセルテルの半分以上を崩壊させたため、将来を担うはずの貴重な子竜と竜術士の多くは
敵兵と共に地下に眠ることになってしまった。
崩れた建物、荒れ果てた大地・・・竜術による復旧作業で、コーセルテルはすぐに元のたたずまいを
取り戻した。しかし、喪われた生命を呼び戻すことは、いかな竜術を用いても不可能であったのだ。
こうして、本来圧倒的に地力で勝るはずの真竜族は、時が経つにつれて魔獣族相手に苦戦を
強いられるようになっていた。
敵前衛部隊がコーセルテル目前にまで迫りつつある今、真竜族側は最後の切り札である「数百年
ぶりに誕生した暗竜の竜王候補」の力をもって、ようやく戦線を維持していた。その肝心のエストが
宮廷から抜け出すなどというのは、そもそも許されるはずのない話であったのだ。

「・・・夢を見たと仰られて。」
「夢? 例のか?」
「はい、恐らくは・・・。」
「・・・・・・。」

気が付くと、扉の向こうでミーネと誰かが会話をしているようだった。溜息を最後に話し声は途絶え、
やがて再び扉が開かれた。戸口に立っていたのは、鋭い眼光を持つ中年の男・・・暗竜術士のシオン
だった。

「シオン・・・。」
「時間だ。・・・行くぞ。」
「はい・・・。」

一瞬何か言いたげな表情を見せたシオンだったが、言葉少なにエストを促すと先に立って部屋を
出た。エストが後に従い、短い歩幅で懸命にシオンの後を追う。
これから、彼女には辛く厳しい毎日の務め・・・その強大な暗竜術で、敵兵をひたすら殺すという
務めが待っているのだった。それは、人間にしてみればまだ十歳にも満たない少女にはあまりにも
残酷な仕打ちであることは、周囲の皆が知っていた。しかし、他に戦いに負けないようにする方法は
なかったのだ。


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