萩野原
プロローグ
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エピローグ
−3−
その日から、エストは夕刻の一時をクレーベと共に過ごすことになった。
クレーベは必ず噴水のそばにいた。剣の練習(これが一番多い)、勉強、そして居眠り・・・している
ことは様々だったが、何をしていてもエストには楽しそうに見えた。
当初のかしこまった様子が消えると、クレーベは実に様々な話をしてくれた。シオンやミーネの他には
ろくに会話をする相手がいなかったエストにとって、クレーベとの触れ合いは新鮮な驚きの連続だった。
そんなある日のこと。
「・・・何でおれが、いつも楽しそうなのかって?」
素振りの手を止め、エストの方を振り返りながら聞き返すクレーベ。エストは、いつものように噴水の
縁石に腰掛けてその様子を眺めていた。
「そう言えば、君はいつも物静かだけど・・・笑ったり、怒ったりすることはないのかい?」
「竜術には・・・必要ないもの・・・。」
「そう言われればそんな気もするけど・・・でもさ、そういう気持ちになることはあるんだろ?」
「そういう・・・気持ち?」
「うん。」
再び素振りを始めるクレーベ。その軌跡は鋭く速かった。
「おれにはよく分かんないけど・・・笑ったり、怒ったりするのに特に理由なんていらないと思うよ。単に
楽しいとか、腹が立つとか・・・それでいいんじゃないかなぁ。」
「そう・・・かしら。」
「うん。おれだって、いつも『ここは笑うべきだ』とかって考えて笑ってるわけじゃないしさ。」
考え込んだエストを見て、「よし」といった感じで一つ頷いたクレーベは、こんなことを言い出した。
「じゃあ、笑う練習をしてみようか。」
「笑う・・・練習?」
「そうさ。今まで笑ったことがない・・・って言ってたろ。じゃ、練習してできるようになるしかないだろ?」
「でも・・・。」
「いいからいいから。ほら、こうやって口の端を上げて・・・」
と、両手の親指で口角を吊り上げてみせるクレーベ。
「こう・・・?」
「うーん・・・ちょっと硬いかなぁ。もう少しこう・・・」
「・・・・・・。」
「そうそう、そんな感じ。」
ぎこちないながらも笑顔になったエストを見て、クレーベは頷いた。
「やっぱり、似てるなぁ・・・。」
「え・・・?」
「初めて会ったときから、ずっとそう思ってたんだ。・・・昔、一緒に遊んだ暗竜の女の子がいてさ・・・
確かエストっていう名前だった。」
「・・・!」
ズキン。
その名前を聞いた途端、エストは頭の芯に鈍い痛みを感じ、その場にしゃがみこんだ。
「ちょうど君と同じくらいで、ひょっとしたら知り合いじゃ・・・あ、どうしたんだい?」
「・・・何をやってるんだ、お前たち。」
頭を押さえて座り込むエストを見て、心配そうに駆け寄るクレーベ。ちょうどそこへやって来た術士の
シオンが二人に声をかけた。
「あ、父さん。」
「シオン・・・。」
エストの様子を見て眉を顰めるシオン。しかしそれは一瞬のことで、クレーベに向かって宮廷の方を
顎で指し示す。
「近衛の護衛隊の兵士登録が始まった。人手不足だからな・・・お前も参加させてもらえるそうだ。
行ってこい。」
「本当!?」
「ああ。せいぜい足を引っ張らないようにしろよ。」
「分かってるよ! じゃあ父さん、フェリシテ・・・また後で!」
満面の笑顔を浮かべると、建物の方へ走りこ去るクレーベ。その後姿を見送りながら、シオンは
エストに厳しい視線を向けた。
「あいつと・・・クレーベと、一体何を話していたんだ?」
「笑い方を・・・教わっていたの。」
「笑い方・・・だと?」
眉を上げるシオン。
「いつも言っているだろう、竜術以外のことは考えなくていいと。お前は、お前の務めを果たすこと
だけを考えるんだ。」
「・・・・・・。」
「明日、いよいよ近衛隊が出発する。恐らく、近頃にない激しい戦いになるだろう。・・・お前の力が
必要だ、今日はもう休むといい・・・。」
「でも・・・。」
クレーベが駆けていった建物の方を心配そうに見るエスト。
「あいつのことは心配ない。さあ・・・。」
「・・・・・・。」
シオンに促され、エストはちらりちらりと後ろを振り返りながら自室に戻っていった。シオンは、そんな
エストの様子を複雑な表情で見守っていた。