青空    2           

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「ここだ。」

“資料室”と書かれた部屋の前でガートルードは立ち止まると、その扉を独特のリズムでノックし、
鍵を開けた。確かここは、精霊術に関する実験道具や図表、そして各種の標本が収められた部屋の
筈・・・そして、なぜ鍵がかかっている部屋にノックが必要なのだろうか。不審そうな様子のカディオに
向かって、ガートルードは顎をしゃくった。

「まあ、入れ。」

促され、部屋に入ったカディオは目を疑った。
学校のあるウセラはイルベス山のカルデラにある。標高は優に二万リンクを超え、その高山性気候
から一日の最高気温が十度を超える日は稀であった。そのため一般的に人々は一年中厚着をして
室内で過ごすのが習慣となっていた。
しかし、この部屋は暖房をしている様子もないのに、その厚着が鬱陶しくなるくらい暖かだったのだ。
部屋にはこの地で育つはずのない花々が植えられた鉢が所狭しと並べられ、瑞々しい大気・・・微かな
花や草の香りが部屋中に満ちていた。そう、それはまるで森の中にいるように。

(・・・故郷に、帰ってきたみたいだ・・・)

そして、その部屋にはもう一人先客がいた。かなり高位と思しきその精霊は、ガートルードの姿を
認めるとにっこりと微笑んだ。

「おかえりなさい、ガーティ。・・・授業は無事すんだの?」
「ああ、エリアル。まったく、悪ガキどもには毎年苦労させられたが・・・それも今年で終わりだと思うと、
何だか寂しい気がするな。」
「ふふ、そうね。・・・あら、その方は?」
「今年一番の悪ガキさ。カディオと言うんだが・・・何でも、私の試験に不満があるらしくてな、そこで
噛み付かれたよ。」
「まあ、本当に怖いもの知らずね。」

くすっと笑った水の精霊・・・エリアルは、カディオに向かって声をかけた。

「カディオ・・・だったわね。あなたは紅茶でいいかしら?」
「こ・・・紅茶? あ、・・・うん。」
「それじゃ、ちょっと待っててね。」
「・・・・・・。」

僅かに赤くなったカディオは、その場を去るエリアルの姿をあっけに取られて見送った。こんなに間近で
高位の精霊を目にしたのは初めてだったのもそうだが、何より相手が楽しそうにしているのが理解
できなかった。実際は精霊術士に囚われ、やがて消滅するのが定めの身の上であるはずなのに・・・。

「どうした、エリアルに当てられたか? 言っとくが、あれは特級だ。お前が扱える相手ではないぞ。」
「べ・・・別にっ!」
「そうか。では、いつまでも突っ立ってないで座れ。・・・私に言いたいことがあるんだろう?」

しばらくの間陶然とその場に立ち尽くしていたカディオは、からかいを含んだガートルードの言葉に
我に返った。ソファーに勢いよく座ると相手を睨み付ける。

「最後の実技試験、先生は一体何を考えてるんです!? 僕にはどうしても納得ができません!!」
「そうだ、その話だったな。」

エリアルが淹れた紅茶を一口啜ると、ガートルードはカディオに向き直った。

「単刀直入に訊こう。カディオ、なぜお前はあの試験に不満があるんだ?」
「決まってるじゃないですか! 何の罪もない精霊を消すことに、何の意味があるんですか!?」
「では、何の罪もない動物や植物ならいいのか?」
「え?」
「お前は今日、起きてから何を食べた? そして、何を着て何を履いている。それらは皆、生きている
動物や植物を言わば殺すことによって得られたものだ・・・違うか?」
「それは・・・」
「なぜ他の生き物ならば気にならなくて、精霊ならば問題にするんだ? 同じ“命”だと思うが・・・私には
さっぱり分からんな。」
「・・・っ!!」

痛いところを突かれ、顔を赤くするカディオ。そんなカディオに向かって、ガートルードは小さく肩を
竦めて見せた。

「人間はな、カディオ・・・他の命を犠牲にすることで初めて生きていけるという難儀な生き物だ。動物、
植物・・・そして精霊だってそうだ。そんな細かいことを気に病んでいるようでは、この先生き残って
いけると思うなよ。」
「生き残る・・・? 一体、何の話です?」

急に話題が変わったことに戸惑うカディオ。

「カディオ。・・・お前は、なぜこの養成学校に入学したんだ?」
「それは・・・精霊術士になるためです。」
「だろうな。・・・で?」
「え・・・?」

予想外の質問に、目をぱちくりさせるカディオ。

「精霊術士になった後はどうするのか、と聞いているんだ。まさか、資格を取ってそれを自慢するために
ここに来たんじゃないんだろう?」

(精霊術士になった・・・後?)

言われてカディオはハッとした。考えてみれば、精霊術士を志願した理由は両親に楽をさせてやり
たかった・・・ただそれだけだった。地位や名声が欲しかったわけではなく、精霊術士としての力に
憧れたわけでもない。・・・「その先」のことを考えたことなどなかった。


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