青空        4       

 −4−

女の子は、森の中を駆けていた。両手で分厚い本を抱え、肩にはお弁当の入った小さな袋がかけ
られている。左右に分けて編まれた長いおさげの髪が背中で揺れる。
ライロン郊外にある、ミューレの森。地元の人間でさえ滅多に立ち入ろうとしないこの場所に、女の子は
毎日朝からやって来る。そして、その時だけは不思議と森の中に一本の道ができるのだった。

やがて、女の子は小さな泉のほとりに辿り着いた。泉の中央には僅かな広さの地面が顔を覗かせて
おり、そこに一本の木が立っている。

「おはよう!」

女の子はにっこりすると、誰にともなく元気良く挨拶した。そして飛び石を器用に伝い、中央の島に
降り立った。
木は楡。その梢をいとおしそうに見上げた女の子は木の根元に腰を下ろし、次いで幹に寄りかかった。
そして、膝の上に持ってきた本を広げるのだった。

初めて女の子がこの場所に来たのは、まだ八歳の時。彼女の母が流行り病で天に召されたその日、
どうしていいか分からなくなって家を飛び出した女の子は、気が付いたときにはここにいた。ただ、
木の幹に縋って泣いた・・・それしか覚えていない。
そして、それ以来ここは女の子だけが立ち入ることを許された秘密の場所となったのだった。嬉しい
時、悲しい時・・・女の子は必ずここにやって来ては笑い、そして泣いた。いつしかそれは毎日の
習慣となり、こうして女の子は今日も森を訪れるのだった・・・この楡の木に会うために。


  *


季節はまだ春の半ばであり、その天候は変わりやすい。午後になると気温が下がり、やがて曇り空
からポツリポツリと雨粒が落ち始めた。
だが、女の子に冷たい風が吹き付けることもなければ、雨が降りかかることもなかった。そして、幸せ
そうな顔で本の内容に没頭する女の子を枝から見下ろす三つの人影があった・・・一つは青年の、
そして残りはまだほんの少年少女といった外見である。そのうちの一人、明るい草色の髪を風に
なびかせていた少年は、やがて呆れたように呟いた。

『・・・まったくよ、毎日毎日よくもまあ飽きないもんだぜ。』
『そう言わないの! いいことじゃないの、本が好きだなんて。』
『そうか? オレだったらごめんだな・・・』
『ほらほらお二人とも、あの子が風邪を引かないようにお願いしますよ。』
『分かってる、分かってるって。』

隣に座っていた、こちらは水色の髪をした少女に言い返され、少年は口を尖らせた。そんな二人に
向かって、栗色の髪の青年がにこやかに促した・・・肩口から覗く緑の葉が鮮やかである。

『それにしても、一体どんなもんを読んでるんだ? ちょっと覗いて・・・』

少年は枝から身を乗り出した。・・・そして、しばしの沈黙。

『・・・うげ、何だよあれ。・・・何が書いてあるのか、オレにはちんぷんかんぷんだぜ。』
『え、そう?』

連られて少女も女の子の読んでいる本を覗き込んだ。

『なになに・・・安定した低水敷に発達する夏緑樹が優占する高木林・・・?』
『ほう、森の話ですか?』

内容が自分たちに関係あることだと分かり、相好を崩す青年。一方、少年はつまらなそうにそっぽを
向いた。

『・・・ったくよ、いまどきの人間はこんな小さい頃からこんな小難しいもんを読まされるのか?』
『何を言ってるの、それはあなたが勉強嫌いなだけでしょう?』
『んだと!?』
『しーっ、静かに。そんなに大きな声を出しては、気付かれてしまいますよ。』

再び言い合いを始めた二人をたしなめる青年。慌てて下を見る少年と少女・・・すると、いつの間にか
女の子は三人のいる枝を見上げていた。そしてにっこり笑うと、再び膝の上の本に目を落とす。

『・・・聞こえてた・・・のか?』
『さて、どうでしょうか。普通の人間でも、子供の頃は不思議な力が備わっていると聞いたことが
ありますから、あるいは・・・。』
『もう、シルが変なこと言い出すからよ? これで気付かれちゃったらどうするつもりなのよ。』
『だってよ・・・。』
『まあ、あの子に関してはあまり心配は要らないと思いますよ。ただ、周りの人たちはどうでしょうか・・・
もう少し様子を見ましょう。』

いつしか通り雨は上がり、遠い空に虹がかかる。それを見ながら青年が口にした言葉に、残りの
二人は顔を見合わせると頷いた。


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