青空
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「そんな・・・」
目の前に広がる風景に、ガートルードは絶句した。
父が危篤だという知らせをガートルードが受け取ったのは、自然科学学会の開催される一週間前
だった。迷った挙句、ガートルードは学会を・・・自分の「夢」を優先させた。学会は一週間に亘って
開催され、そこで発表された彼女の研究グループの研究成果―――――森林の無秩序な伐採が
近年の異常気象や自然災害の引き金になっているという調査結果―――――は大きな反響を呼び、
こうした災害への対処に頭を悩ませていた各国は早速自然保護の国際的な枠組みの構築に向けて
動き出した。・・・まさに、何もかもが彼女が願っていた通りになったのだった。
惜しまれながらも竜大の教授職を辞し、こうして大急ぎで故郷に戻ってきたガートルードは、その足で
ミューレの森へ向かった・・・「夢」の達成の報告を、自分を信頼して送り出してくれた大事な人たちに
告げるために。
だが―――――そこに既に森はなかった。かつて彼女が毎日通った泉は跡形もなく埋められ、その
中央に立っていたはずの楡の木・・・彼女の大切な人が宿っていたはずの木も、無残にもその切り株
のみを残して伐り倒されてしまっていた。見上げれば、かつては鬱蒼とした森に囲まれていたために
望むべくもなかった広い青空・・・だが、降りそそぐ明るい日差しも、この状況では何か空虚で物悲しく
感じられるだけだった。
「どうして・・・」
切り株の前でガートルードはがっくりと地面に膝をつくとその表面を撫でた。だが、それは冷たく
無機質で、昔と違って何の温もりも伝わって来なかった。大粒の涙が切り株の表面に零れ、やがて
小さな染みとなって中に吸い込まれていく。
(やっと・・・夢が叶ったのに。・・・これから、みんなと安心して暮らせるようになるはずだったのに!!)
ミューレの森の開発を頑なに拒み続けていたガートルードの父が死ぬと、それに業を煮やしていた
ライロン市の有力者たちは、相続人であるガートルードの不在をいいことに森の伐採をなし崩し的に
行ったのだった。既成事実を作ってしまえばこちらのもの・・・という思惑があったのか、あるいは
何らかの約束が取り付けてあったのか。今となってはガートルードにとって知る由もなかったが、
唯一つ確かなのはもうここに森がないということ・・・それだけだった。
ふと、背後に人の気配を感じたガートルードはゆっくりと振り向いた。そこにあったのは、懐かしい風と
水の精霊の姿だった・・・だが、その表情は人間に対する憎悪と悲嘆で歪んでいた。
「シルフェス・・・それにエリアル! あなたたちは・・・無事だったの!?」
「気安く呼びかけるんじゃねえよ・・・この人間。」
「・・・!」
敵意のこもった言葉を叩きつけられ、ガートルードはびくっと身を竦ませた。
「だからオレは言ったんだ、人間なんか信用するなって! ・・・結局、このザマじゃねえか!!」
「ごめんなさい、私がもう少し早く帰って来ていれば・・・こんなことには・・・!!」
「ケッ・・・被害者ヅラするのはやめろよ。お前も結局は似たようなもんだろうが。」
「そう・・・そうだよね。今の私には何も言う資格はないよね。」
シルフェスの言葉に、ガートルードは自嘲の笑みを僅かに浮かべると俯いた。苦々しい顔でそっぽを
向いていたシルフェスは、黙ったまま傍らに立っていたエリアルの方を顎でしゃくった。
「・・・おい、エリアル。」
「私たちは、エルムに頼まれてこの地に留まっていたの。・・・あなたが戻ってきたら、伝えて欲しい
ことがあるって。」
「・・・・・・。」
ガートルードの方に一歩進み出たエリアルは、俯いたままのガートルードを悲しそうに見つめると、
ゆっくりとエルムの“遺言”を伝え始めた。
「彼は最後に、こう言ったわ・・・。『私は、誰も恨んでいません。・・・私は、もう充分長く生きました。
これも、定めだと思っています・・・』」
「え・・・?」
エルムの遺した意外な言葉に、ガートルードは驚いて顔を上げた。
「『ガーティ・・・あなたと過ごせた年月は、私にとってもかけがえのないものでした。最後に、人間と同じ
夢を共有することができた・・・それだけで、私にとっては充分です。どうか、人を憎み復讐に狂うこと
だけはないように・・・それが、私からの最後の願いです。』・・・って。」
「でも・・・っ!!」
(エルム・・・無理だよ、そんなこと・・・! 私には、この森を・・・あなたを切った相手を許すことなんて
できないよ!!)
最期まで、何と気高く賢明だった木の精霊。それに比べ、目先の欲に狂う人間たちの何と穢れた
ことか! そして、そんな両者がぶつかった場合、結局勝ちを収めるのは人間の方なのだ。
「さあ、これで約束は果たしたな! オレはこれから自由にさせてもらうぜ!!」
「シルフェス・・・あなたはこれからどうするの?」
「オレは、自分の故郷に帰るさ・・・あっちも人間相手に大変みたいだからな。あばよ・・・人間!!」
エリアルの問いに吐き捨てるように答えたシルフェスは、地面に突っ伏したままのガートルードを最後に
一瞥すると一目散に南に向かって飛び去った。しばらくして顔を上げたガートルードは、その場にまだ
エリアルが残っているのを見て驚いた顔になった。
「エリアル・・・どうして? あなたは・・・」
「エルムの言葉を聞いたでしょ? 私も、人間を恨んではいないの・・・多分、これも仕方のないこと
だったのよ。」
目を伏せていたエリアルは、ガートルードの問いに静かに答えた。
「シルフェスはあんな言い方をしてたけど・・・それは、彼も人間を信じる気になっていたから。そう、
ガーティ・・・あなたのように、夢を持って頑張っている人間がいるって知っていたから、余計に
悔しかったんでしょうね。」
エリアルはここまで言うと、地面に座り込んだままのガートルードに向かって手を差し出した。
「もし、あなたが望むなら・・・私はあなたの力になりたいと思っているの。泉がなくなった今、もう
この地には留まれないけれど・・・それがエルムの望みでもあったと思うし・・・ね。」
「そう・・・。」
(でも・・・)
エリアルの手を取り、ゆっくりと立ち上がったガートルードはしばらく無言で切り株を見つめていたが・・・
やがて、懐から小さなナイフを取り出した。
「・・・ガーティ?」
不審そうにガートルードの方を見たエリアルの前で、彼女は自らのおさげ髪をばっさりと切り落とすと、
今やエルムの墓標代わりとなった切り株の上にそれを置いた。
(・・・・・・)
それは、死者への哀悼の意を表す行為。しばらくの間切り株に向かって黙祷を捧げたガートルードは、
やがて踵を返すと無言で歩き出した・・・故郷の町とは反対の方向へ。その様子をこれも黙って眺めて
いたエリアルもその後を追った。
こうして、残された三人は別々の道を歩み始めた。そして、誰一人として・・・二度とこの場所に戻る
ことはなかった。