ガーティの夢        4       

 −4−

「一体、何が起こっておるのだ!!」

アミアン国軍を統括するガラニュス将軍は、苛立っていた。傍らの机を叩き、大声で叫ぶ。

「伝令は・・・まだ戻らんのか!?」

いや、彼だけではない。今日に限っては、ここアミアン国軍の駐屯地全体が騒然としていた。
伝令系統はずたずたに断ち切られ、切れ切れに伝わる情報は味方の大敗を示唆するものばかり。
ここ数年来なかった恐慌状態の中で、ガラニュスは歯軋りした。

(おのれ・・・やはり、あれは誘いだったのか!)

最初に森から出てきたのは、なぜか水精だった。
普段、敵の実戦部隊は風精で構成されているはずだった。風の刃を自在に操る風精たちは、個々と
して見れば決して侮れない実力の持ち主であり、その神出鬼没の機動力には随分と手を焼かされた
ものだった。
それに対して、水精たちはその温和な性格からも、また操る術から言っても全体的に防御の色合いが
濃く、今まで戦闘の矢面に立つことはあまり見られなかった。そんな水精たちが、この日に限っては
先陣を切って突撃してきたのだ。
これは、もしかすると敵にまともな戦力が残っていない顕れではないのか。
ガラニュスの推測は、すぐに確信へと変わった。会敵した敵前衛は防御一辺倒であり、間もなく森の
中へと敗走を始めたからだ。
当然のように、追撃戦が始まった。十年以上に亘ったこの戦いにも、ついに終止符が打たれる時が
来たのだ。部下たちも、その多くが家族や親しい人間を精霊によって失っている。抑えようとしても、
多分無理だったろう。

しかし、勝利を目前にしながらも、ガラニュスの心境は複雑だった。
二年前・・・劣勢の戦況に業を煮やした女王ミレーユは、ユックルに精霊術士の派遣を求めたの
だった。軍を統括する自分に対しては事前に何の相談もなく、ガラニュスは面子を潰された格好と
なった。
確かに、派遣されてきた精霊術士たちの支援によって、部下の被害は格段に減った。その点に
関しては、奴らに感謝するのもやぶさかではない。だが、実際に前線に出て体を張っているのは
自分たち軍人なのである。
そもそも、初めから精霊術士たちとはどこか馬が合わなかった。その一挙手一投足がどこかお高く
留まっていて、自分たちアミアンの人間を馬鹿にしているように感じられたのだ。その感覚は、彼らの
精霊術によって戦況が劇的に改善するにつれて、次第に堪え難いものになった。
この勝利によって、奴らはそれがあたかも自分たちの力によるもののような顔をするに違いない。
最近では、まだ見習いの術士をここに呼び、実際の戦闘に参加させることまでやり始めているので
ある。自分たちがその精霊術の練習台にされていると思うと、腹立たしさは一層募った。
だから、戦線の後方支援に回っていた精霊術士が敵の奇襲によって全滅したと聞いた時も、
ガラニュスはにやりと笑っただけだった。今まで大きな顔をしてきたバチが当たったと思ったからだ。
敵が通常の戦線を維持できなくなった今、既に精霊術による援護の必要性は薄くなっている。しかし、
敵の主戦力である風精がまだ何人か残っている可能性もあり、こちらも重装備の部隊を投入した方が
無難だろう。そう考えたガラニュスは、待機させていた麾下の重装備の部隊を先頭に、森への突入を
命じたのだった。

彼が顔色を変えたのは、先陣切って森へと突入していった部下からの緊急の伝令が本営に到着した
時だった。
報告によると、森の中には無数の落とし穴が掘られていたという。巧妙に隠蔽された落とし穴には
例外なく水が張られており、一度それに落ち込んだ兵は重い鎧が祟って為す術もなく溺死させられた。
進むに進めず、退くことも叶わず・・・結果的に部隊は森の中で完全に立ち往生させられているのだと
いう。
一方、支援のために後から森に入った軽装の部隊は、満を持して待ち構えていた風精の部隊に
よってこれまた甚大な被害を被っているらしい。機動力を維持できる程度の兵装では、風精の操る
“風刃”には耐えられないのだ。

(しまった!)

森は、もともと奴らの庭のようなものだった。見通しは悪く、道もはっきりしない・・・おまけに、こちらの
指令や部下からの報告も届き難い。そこへ踏み込んでいくことなど、自殺行為にも等しかったのだ。
今になって考えてみると、最初の戦いも完全に誘いだった。経験豊富なガラニュスがそれを見抜け
なかったのは、今まで精霊たちがそんな策を用いたことが一度たりともなかったからだ。
この十年間というもの、精霊たちの戦い方は判で押したように同じだった。名乗りを上げ、一騎討ちを
挑む。その古風な戦い方を嘲笑ううちに、いつしかそれ以外の戦い方はできないものと勘違いして
しまっていたのだ。
しかし、誰が精霊たちにそんな知恵をつけたのだろうか。

(おのれ・・・)

もう一度傍らの机を叩いたガラニュスは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたまま立ち上がった。
起きてしまったことは仕方がない。今は、森の中で立ち往生している部下を救い出すことが先決で
ある。
もちろん、口で言うほど簡単ではないだろう。今森に踏み込めば、自分も部下と同じ運命を辿ることに
なる。精霊術士が全滅した今、ここはまず森を焼き払うことから始めるしかない。
こうして、本営に残っていた予備部隊に火矢の用意を命じ、自らも出陣の用意を整えたガラニュスは
自室を出ようとし・・・そこで予期せぬ人物と鉢合わせをすることになった。

「将軍! この騒ぎは、一体どうなっているの・・・?」
「こ・・・これはエレノア様! また、そのような格好を・・・!」

女王ミレーユには、妹が一人いた。今年十六歳になるエレノア姫である。
小さい頃からの腕白ぶりは、年を経てからも収まる気配がなかった。嫁入り修行よりも剣の練習が
好きだといって憚らず、普段から剣を手放そうとしないエレノアに、女王を初め王宮の人々はほとほと
手を焼いていた。
しかし、ガラニュス自身はこの姫の破天荒ぶりが決して嫌いではなかった。当のエレノアに、乞われる
ままに剣の手解きをしたのはガラニュスだったが・・・その才能を目の当たりにするにつけ、自分にも
これほどの息子がいればと思ってしまう。
ガラニュスの顔色が悪いことを見て取ったエレノアが、小さな溜息をついた。

「あまり、良くないのね。」
「は・・・申し訳ございません。」
「“勝ち負けは時の運”と私に言ったのは、将軍・・・あなたでしょう。それで? これからどうするの?」
「はい・・・」

ガラニュスは、分かっている限りで現在の戦況とこれからの対策を手短に説明した。

「なるほど。確かに、それは森を焼くしかないわね。」
「はい。しかし、敵の妨害がどれほどのものか・・・。以前にも試みましたが、水精によって火は瞬く間に
消し止められました。」
「でも、やるしかない・・・そうなのね?」
「仰る通りです。全てはこの私の不明の致すところ・・・森に取り残された部下は、何としても救出
します。」
「いい覚悟ね。よし、私も前線に出るわ。あなたに供を命じます。」
「は!? い・・・いけません!! 姫様の身に何かあったら・・・」
「こういうときこそ、王族が前線に出て督戦するべきでしょう! さあ、行くわよ!!」
「あ・・・お、お待ちください!」

ガラニュスの返事も待たず、不敵な笑いを浮かべたエレノアはさっさと歩き出した。慌てた
ガラニュスは、小走りでその後を追ったのだった。


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