Message From The Wind
プロローグ
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エピローグ
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タイタスの町は、ヴァンフォーラの首都フォントから西北西約三十リーグにある国境の町である。隣国
エクセールへの街道が通じていることもあって、その規模は決して小さくない。
その町の中心部から程近い一角に、レンガ造りの逓信局の建物があった。今しも、汗だくになった
逓信局職員のアクセルは、足を引きずるようにして逓信局へと戻ってきたところだった。
「・・・・・・。」
季節は夏の最中。雷竜の月も末に迫ったこの時期は、逓信局の職員は「暑中見舞い」の配達に
てんてこまいの忙しさとなる。重い配達鞄に、外へ出るときはいかなるときも着用を義務付けられて
いる茶色の制服。これが長袖長ズボンに帽子という“完全装備”である以上、毎年夏になるたびに
熱射病で倒れる職員が続出するのも無理のないところだった。
(・・・ったくよ。一体、どこのどいつが「暑中見舞い」だの「年賀状」だのを考え出しやがったんだよ。
・・・こっちはいい迷惑だっつーの!)
むしゃくしゃする気分を押さえ付けながら、アクセルは逓信局の入り口の扉を蹴るようにして開け、
中に足を踏み入れた。直射日光を受けないだけまだマシだが、それでも局内は多数の客でごった
返しており、そのムッとするような人いきれにアクセルは思わず顔を顰めた。
「ただいま、戻りました・・・」
自分が戻ってきたことを告げ、カウンターの横から職員の控え室へと向かう。しかし、そこで仕事を
していた同僚たちの、誰一人としてそれに反応する者はいなかった。ここで労いの言葉の一つも
かけてもらえればやる気も出ようものだが、この時期の逓信局はどの職員も自分の仕事で手一杯で、
とてもそんな余裕はないのだった。
(けっ・・・)
世間では、この仕事は「夢のある仕事だ」と言われている。そして、「心を運ぶ仕事」だとも。・・・確かに
そうだ。だが、それには数限りない配達員の「心」が犠牲になっていることを忘れてはいけない。
休みは少なく、暑さ寒さに嵐、大雪・・・どんな悪天候になろうとも、仕事を休むことは許されない。特に
年末、世間がのんびりと家族団欒の時を過ごす間も、配達員たちは歯を食いしばってこの辛い仕事に
耐えているのだった。
(あー・・・やめだやめだ!)
こんなことを鬱々と考えていても、何も始まらない。職員の控え室に入り、配達鞄を机の上に放り
投げたアクセルは、小さく首を振ると自分のロッカーの扉に手をかけた。
何はともあれ、今日の仕事はこれで終わりだった。今日は、いつにもまして体が重い。・・・こんな日は
早いところ家に帰り、冷えたビールの一杯も引っかけて寝てしまいたかった。
(・・・?)
扉を開けたアクセルの目に、赤いものが飛び込んできた。ロッカーの仕切りに、赤い縁取りのされた
紙が貼り付けてあったのだ。職員の間で俗に「赤紙」と呼ばれるそれは、局長からの呼び出しを意味
する。もちろん、その目的が基本的に“叱責と処分”であることは周知の事実だった。
憮然とした表情で、それでもアクセルはまっすぐ局長室に向かった。扉をノックし、名前を告げると
中へと入る。・・・いつものように自分の机で書き物をしていた局長のフリッツは、目を上げるとちょっと
頷いた。
「おう、アクセルか。」
「・・・今日はなんすか? 言っときますけど、俺にはもう減らせる給料なんてないっすよ。」
「相変わらずだな。それが分かってるなら、もう少し配達には気を配って欲しいもんだ。」
切り口上のアクセルに動じることなく、フリッツは手元の書類にペンを走らせた。最後にぽんと印鑑を
捺すと書類を脇にどけ、立ったまま自分を睨み付けているアクセルに向き直る。
「すまん、待たせたな。」
「・・・で?」
「そう尖りなさんな。・・・もちろん、お前さんの予想通りだ。ついさっき、自分の家に来るはずの手紙が
間違って向かいの家に届いたという苦情が来てな。」
「・・・・・・。」
心当たりがあったのか、アクセルは途端に苦い顔になった。
アクセルがこの仕事を始めてから、今年で四年目になる。これでも以前よりはかなり減ったものの、
もともとそそっかしい性格だったアクセルにとって、この程度のミスは日常茶飯事だった。・・・実際、
最近はこの仕事にあまり魅力を感じなくなって来ているためか、こうしたミスがまた増えているような
気がする。
こんな自分が未だに逓信局をクビにならずに済んでいるのは、単に激務である配達員の極端な人手
不足のお蔭に他ならない。・・・少なくとも、アクセルはそう信じていた。
どうして、自分はこの仕事を選んだのだろう。何か大事な“きっかけ”があったはずだ。・・・しかし今は、
それをどうしても思い出せない。
それは、忙し過ぎる毎日のせいなのか。それとも、初めからそのようなものはなかったのか。だと
したら、自分は―――――
「・・・と、いうことだな。以後、気を付けるようにな。」
「・・・・・・。」
「アクセル。聞いてるのか?」
「・・・え? あ、はい。」
「そうか。なら、もう行っていいぞ。」
物思いに沈んでいたアクセルは、フリッツの言葉に我に返った。小さく頭を下げて局長室を出ていこうと
したアクセルに向かって、フリッツが言う。
「ああ、それとな。」
「・・・なんすか局長。」
(まだなんかあんのかよ・・・)
立ち止まったアクセルは、心底うんざりした表情を隠そうともせずにフリッツの方を振り向いた。だが、
次にフリッツが口にした言葉は、アクセルには思いも寄らぬものだった。
「さっきから気になっていたんだが。その子供は・・・お前の子か?」
「・・・は!?」
顎が外れるほどぽかんと口を開けたアクセルは、フリッツの視線の先・・・自分の右足に目をやった。
すると、そのズボンの裾をしっかりと掴んでいる子供の姿が目に入った。
(そうか・・・さっきから妙に足が重かったのはこのせいか)
あまりの衝撃に、アクセルはかなり間抜けなことを考える羽目になった。その後姿に向かって、
フリッツの言葉が追い討ちをかける。
「とにかく、ちゃんと連れて帰るようにな。」
「あ・・・あの・・・はあ。」
こうして挨拶もそこそこに、アクセルは足を引きずりながら局長室を後にすることになったのだった。