Cross Colors
プロローグ
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エピローグ
−1−
ロアノーク宮殿の内部には、広大な庭園があった。
一瞬、どちらが城壁の内側か分からなくなってしまいそうな、本格的な森。本来は侵入した敵に
利用されるのを防ぐために、城内はできるだけ見通しを良くするのが常識であり、こうして障害物と
なり得る木々を残すのは自殺行為とされていた。これも、噂では全能であるという竜たちの“余裕”を
表しているのだろうか。
その片隅に立つ一本の大樹の枝に、セリエは膝立ちで潜んでいた。
(・・・・・・)
視線を上げると、こんもりした森が目に入る。本当はあの森まで駆け、そこに潜んで機会を窺うつもり
だった。
だが、竜たちの追跡は思ったよりずっと迅速だった。
陽動のために、宮殿正門に斬り込んだ配下の五人。各人が選び抜かれた手練であり、並みの兵士で
あればそれこそ何百人が束になってかかっても敵わないはずだったが、その五人でさえものの五分も
保たなかったのだ。結果的に、セリエは何とか辿り付けたこの木に身を隠す羽目になっていた。
不意に一羽のスズメがセリエの肩に舞い降りると、悠々と羽を繕い始めた。本来は人間に対して強い
警戒心を持っているスズメらしからぬ行動だが、これもセリエの得意とする「森影流」ならではの光景
だった。そして、そのお蔭で暗光両竜術による探索を逃れることができたことを、もちろん彼女は
知らない。
セリエは、ラクルス山脈中央部に主に居住する山岳民族、ザイン一族の出身だった。両頬にある
刺青は、その戦士の証である。
少数民族の歴史は、苦難と屈辱の歴史でもある。中原の民からは未開で野蛮な民族と蔑視され、
迫害や搾取の対象になるのが常だった。程度の差こそあれ、それはどの時代の支配者も変わらない。
支配者に呑み込まれぬにはどうすれば良いか。・・・自分の身は自分で守れる程の武力を備え、また
その“価値”を時の支配者に認めさせるしかない。
こうして彼女の一族が編み出したのが、「森影流」と呼ばれる独特の武術だった。
自然を味方にし、その気配と完全に同調することで、敵の目から逃れ・・・また完全な奇襲を行うことも
可能になる。実際には姿が見えていても、相手からは人として認識されなくなるのだ。自然・・・特に、
森がある場所でしかその真価を発揮することができないのが難点ではあったが、少なくとも山に攻め
込んできた兵を撃退するのは赤子の手を捻るようなものだった。
こうして、一族の討伐に手を焼いた支配者たちと和議を結び、ある程度の兵を“間者”として供出する
ことで、代々セリエたちは生き延びてきた。セリエ自身、アルバ帝国の暗殺者として今までに何人もの
敵兵・・・時には将軍クラスの相手を殺している。
そして今、自分は・・・この国の王、“竜王”を暗殺するためにここにいる。
(・・・!)
風に乗り、不意に話し声が聞こえた。・・・どうやら、誰かがここに近付いてくるようだった。
セリエの肩に留まっていたスズメが、慌しく飛び立つ。ややあって、目を凝らしたセリエの瞳に二つの
人影が映った。
「うるさいな。・・・結局、術で探しても見付からなかったんだろ? そいつはノクトの取りこし苦労って
やつだったんだろ。」
「しかし陛下! また、そのように・・・」
「あーはいはい。ほら、一人にしてくれよ。」
うるさそうに手を振った銀髪の男は、金のサークレットと風変わりな肩掛けを羽織っている。全体的に
質素な身なりだが、備えられた威厳とその装飾品からかなりの身分だということが窺える。
一方の水色の長髪を具えた男は、文官にありがちな裾の長いローブを羽織っていた。その言葉遣い
からすると、恐らく二人は主従の間柄なのだろう。
二人の首から上に目をやったセリエは、二本の小さな角と大きな耳に気付いた。・・・人型をとっては
いるが、間違いなく竜である。
「・・・承知いたしました。ですが陛下、くれぐれもお気を付けください。」
「分かったよ。」
(陛下・・・?)
水色の髪の男の呼びかけに、セリエは心の中で首を傾げた。
“陛下”という尊称で呼ばれるのは、国でただ一人・・・帝のみのはずだ。だとすれば、この男が探して
いたこの国の“竜王”だというのだろうか。しかし、仮にも一国の王がこうして一人になることが果たして
あるのか。・・・去っていく長髪の男の後姿を見送りながら、セリエはぼんやりとそんなことを考えて
いた。
その間に、銀髪の男は一人木の下まで来ると、そこに跪いた。その時になって、木の根元に小さな
塚があることに、セリエは初めて気付いた。
塚の前に跪いた相手は、しばらくの間身動ぎもしない様子だった。それを眺めながら、セリエは胸元
から愛用の短剣を静かに取り出すと、切っ先を下に向けて構えた。
このまま木から飛び降りれば、確実に相手に傷を負わせることができるだろう。上手くいけば、一撃で
致命傷を与えることができるかも知れない。
セリエが枝から飛び降りようとした瞬間、相手の唇から小さな呟きが漏れる。
「ユーニス・・・」
(!?)
その名は、ほんの幼い頃からセリエが聞かされてきたものだった。一族に初めての希望を与え、また
それを決して裏切らなかった稀代の英雄。しかし、なぜここで相手がその名を口にしたのかは分から
ない。
「・・・誰だ!?」
(しまった!)
乱れたセリエの気を敏感に感じ取ったのだろう。跪いたままだった相手は、弾かれたように顔を
上げた。
(間に合うか・・・!?)
枝を蹴り、相手の首筋を狙う。間一髪のところでセリエの剣をかわした相手は、二十リンクほど跳び
退ると半身の体勢でこちらを振り向いた。鋭い目線が、セリエにじっと注がれている。
「・・・竜王陛下とお見受けする。お覚悟召されよ!」
剣を構え直したセリエの名乗りに、相手は不意ににやりと笑った。
「そうか・・・わざわざ海の向こうから、オレを暗殺しにきたか。」
相手は、特に武器を帯びている様子ではなかった。しかし、不思議と怖がる様子も見せなければ、
助けを呼ぶ様子もない。それどころか、逆にこの状況を楽しんでいる様子すら見受けられるのだ。
・・・暗殺の経験が豊富なセリエにとっても、こんな反応は初めてだった。
「そうだな。・・・少し、話をしないか?」
「話だと? そのようなことで・・・」
「心配するな、時間稼ぎのつもりじゃない。それに、あんたの雇い主が誰かとか、どこから来たかなんて
ことを聞くつもりもないさ。だから、あっさり自害なんてしないでくれよ。」
「何?」
「そうだな。ま、できればあんたの名前くらいは、聞いておきたいけど・・・さ。」
おかしな雲行きに、セリエは戸惑った。
敵国の間者を捕えた場合、それを拷問にかけて少しでも情報を引き出そうとするのが普通である。
そのため、発見された間者も捕えられることよりは死を選ぶ。
今すぐ相手の喉を掻き切り、自分もすぐに自害すればいい。そうすれば、少なくとも自分がわざわざ
南大陸に渡ってきた目的は果たされることになる。しかし、セリエの心の中には少しずつ躊躇いの
気持ちが生まれ始めていた。それは、相手への興味を持ってしまったからかも知れなかった。