WHITE MANE  1                 

WHITE MANE


 −1−

この日も、月の綺麗な夜だった。
コーセルテルから里への帰り道。夜空を見上げた木竜のユスナは、僅かに目を細めた。その目に
浮かんだ感情は、純粋な月の美しさへの感動の他に・・・悲しみや怒りがない交ぜになった複雑な
ものだった。

(・・・・・・)

先代の木竜術士が死んでから、そろそろ一年になる。次の木竜術士の候補はまだコーセルテルには
現れず、外界に暮らす竜術士たちからもそれらしい話は上がってきていない。
無理もない話だった。風竜を除き、各種族の竜術士はいつも不足しがちだった。こればかりは竜たち
にもどうすることもできない・・・また何年かは、耐えなければならないのだろう。

悪いことは重なるもので、木竜術士の死と時を同じくするようにして、木竜族の里長もこの世を去った。
こうして、当時コーセルテルで一番竜だったユスナは、里に戻ると同時に、成竜になるかならないかと
いう若さで里長の地位に就かざるを得なくなったのだった。
正直、里長という立場は窮屈だった。もちろん、コーセルテルで長年修行を積んだとあって術力、
その扱いには共に自信があったし、自由闊達な性格のユスナは里の皆に好かれてもいた。しかし、
“里長”にはやらねばならぬ仕事も多い。族長や守長との日々の折衝から、里の皆の生活を守る
ための雑務の数々。ただでもイタズラ好きの多い木竜なのである・・・まだまだ遊んでいたい年頃
だったユスナにとって、こうした日々はかなりの重荷になっていた。

そして、そんなユスナがこのところ一番辟易しているのが・・・後継者のために、毎日のように婚儀の
話を持ち出されることだった。
術士が死亡した際、コーセルテルで暮らしていた子竜たちは里に戻ることになる。残された術士の家を
次の術士が現れるまでの間守るのは、各種族から派遣された者の役目だった。里長となった今でも、
皆の「誰か他の者に任せるべきだ」という意見を押し切ってユスナ自らがコーセルテルに出かけていく
のは、そんな里での煩わしい日常から一時でも逃れたかったからだ。
それからは、一月ごとにコーセルテルと里を往復する日々が続いている。

(ジュラ・・・)

先代の木竜術士は、ジュラという名前だった。
浅黒い肌に、赤銅色の髪。その美しさは、死のまさにその瞬間まで衰えることはなかった。
ジュラに対して、ユスナがいつしか抱くようになっていった気持ち。あれが愛と呼べるものだったの
かは、今でもよく分からない。ただ一つ確かなのは・・・ユスナにとってジュラは誰よりも大切な人
だったということだ。
彼女を喪った際の悲しみ・・・そしてその喪失感は、ユスナ自身にも驚くほどのものだった。表面上は
今までと同じように明るく振舞ってはいたが、ジュラの死から一年が過ぎ去ろうとしている今になっても、
ユスナの心には大きな穴が開いたままだった。
・・・結婚のことなど、考えたくもなかった。

(・・・・・・)

ジュラが死んだ日も、こんな美しい月夜だった。今でも、こうして月を眺めていると、不意に怒りにも似た
感情が心の中に湧き上がってくることがあった。
月から目を逸らしたユスナは、再び密林の中を歩き出した。
連日のイタズラで、彼女を振り回してばかりいた遠い日々。謝ることもできないまま、ジュラは逝って
しまった。もっと、素直に接していればよかった・・・という後悔の念は、今でもユスナを苛み続けている。
一体、いつまでこんな気持ちで過ごさなければならないのか。
次の木竜術士が現れるまでか。それとも・・・他の誰かを愛することができるようになるまでか。
ふと、どこからか笛の音が聞こえた気がした。
立ち止まったユスナは、じっと耳を澄ました。・・・確かに、聞こえる。

(こんな山の中で・・・それも、こんな時間に・・・?)

独特の音色。懐かしいメロディ。・・・吸い寄せられるように、足がそちらへ向いた。
ジュラも、笛が得意だった。自らの故郷のものだという、一風変わった竹の笛。眠れない夜には、よく
枕元でそれを吹いてもらったものだった。
腰に差した形見の笛にそっと手をやると、ユスナはその足を早めた。

(まさか・・・ね)

ジュラは、コーセルテルで・・・自らの目の前で死んだ。今、この世に彼女がいないことは、自分が
誰よりも知っている。
しかし、期待に胸は高鳴った。
不意に、視界が開ける。近くの木の枝に飛び乗り、気配を隠したユスナは辺りの様子をじっと窺った。

(ここは・・・?)

目の前には、崩れかけた社があった。
明々とした篝火が焚かれ、社の前には供え物のつもりなのだろうか・・・猪や雉といった獲物、そして
果物が山と積まれている。

(・・・!)

周囲を見回していたユスナは、次の瞬間ハッと目を凝らした。
社正面の階段・・・ユスナに背を向ける格好で、一人の少女が一心に笛を吹いている。
浅黒い肌に、赤みがかった栗色の髪。そして、髪に差されたフクロウの羽。それは、かの日・・・
コーセルテルでジュラが差していたものと同じものだった。
ユスナは、自分が初めてジュラを目にした日のことを思い起こしていた。あのときのジュラも、これ
くらいの年恰好だったはずだ。
考えるより先に、声をかけていた。

「やあ! いい夜だね!」

笛の音が止む。振り向き、驚きに目を見張った少女は、次の瞬間その場に平伏すると震える声で
こう言ったのだった。

「あ・・・あなたが、森の神さまですか?」


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