WHITE MANE                8   

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コノは、“里”の外れで途方に暮れていた。
勢いに任せてユスナの家を飛び出したところまではよかったが、“里”の外周を守っている森は、
まるで壁のようにコノの行く手を阻んだ。暗さも暗し、小一時間の格闘の末に力尽きたコノは、森に
踏み込んで行くのを諦めざるを得なくなった。
考えてみれば、ここは“神の里”なのである。人間である自分が、どう足掻いたところで逃げ出せる
はずがなかったのだ。

(どうしよう・・・)

「あら・・・。こんな夜更けに、どうしたの?」
「ミンカさん・・・。」

その場に座り込み、ぼんやりと森を見つめていたコノは、不意に後ろからかけられた声に振り向いた。
月明かりの中立っていたのは、ミンカだった。ユスナの家にも何かあるたびに顔を覗かせていたため、
ミンカはコノにとって、この“里”で最も親しい知り合いの一人になっていた。

「・・・何か、あったの?」
「・・・・・・。」

近付いてきたミンカに尋ねられ、コノは黙って唇を噛むと俯いた。その頬に涙の跡があるのに気付いた
ミンカが小さく溜息をつく。

「・・・そっか、今日はコーセルテルから大兄様が戻ってくる日だったわね。それで・・・。」
「こ・・・コーセルテル?」
「そうよ。・・・もしかして、大兄様から何も聞いてないの?」

頷くコノ。そんな彼に向かって、ミンカは肩を竦めてみせた。

「まったく、大兄様らしいわ。普段はほんの細かいところまで気を回すくせに、大事なところは決まって
抜けてるんだから!」
「それで、あの・・・。」
「ああ、コーセルテルのことね。・・・ここから遠い北の地に、コーセルテルと呼ばれる場所があってね。
私も、大兄様も・・・実はこの里ではなくて、そのコーセルテルというところで育ったの。」

話しながら、ミンカは手近な草原に腰を下ろした。

「私が里長のことを“大兄様”と呼ぶのは、その時の名残かしら。大兄様と小兄様・・・セーリと、そして
私。三人は、本当の兄妹のようにして育ったから。」
「森の神さまが・・・森を、出るんですか?」
「まあ・・・あなた、まだ私たちが“森の神”だと信じていたの?」
「ち・・・違うんですか?」
「違うわよ。私たちは、竜と呼ばれる古の種族の一つ・・・木竜よ。」

コノが生まれ育った村に伝わる伝説では、この世界を作った神は巨大な鳥と竜の姿だったとされて
いた。
竜とは、すなわち神ではないか。
物言いたげな表情を浮かべたコノの様子に気付き、ミンカは小さく肩を竦めてみせた。

「まあ、あなたたち人間にとっては同じようなものかしら。・・・それでね、私たちだって生まれたときから
万能って訳じゃなくて。そう、あなたたち人間が弓矢の練習をするように、私たちも“力”の使い方を
勉強しないといけないの。」
「へえ・・・。」
「“力”の使い方を教えてくれるのは、人間なの。私たちは“竜術士”と呼んでいるわ。」
「に・・・人間が、神さまに!?」
「ええ。だけど、なかなかなり手がいなくて大変なのよ。」

ここまで話したミンカは、コノのことをじっと見つめた。その瞳が、月の光を映してきらりと光る。

「私たちの竜術士は・・・そう、あなたによく似ていたわ。」
「お・・・おらに?」
「そうよ。名前はジュラ・・・どう、心当たりはない?」
「か・・・母さまが!?」
「やっぱり・・・。」

驚いて目を見開いたコノの様子に、ミンカは小さく頷いた。

「大兄様が、あなたを里に連れてきたとき。正直言って、私も自分の目を疑ったわ。・・・ジュラが、
生き返ったんじゃないかって。」
「母さまが・・・生きていた・・・?」
「ジュラと私たちが出会ったのは、ほんの偶然だったわ。死にかけていたところを、私たちが助けて・・・
それで、コーセルテルに運んだのよ。」
「そ、それで・・・! 母さまは、今どこに・・・!? コーセルテル・・・ってところに行けば、会えるん
ですか!?」
「残念だけど、去年・・・ちょうど今頃に、亡くなってしまったわ。」
「そんな・・・。」

赤ん坊のときに死に別れたと思っていた母が、生きていた。
もしかしたら、会えるかも知れない。・・・コノが抱いた儚い希望は、容赦ない現実によって瞬く間に
打ち砕かれてしまった。
俯いたコノの隣で、黙り込んだミンカは月を見上げた。やがて、その唇からぽつりと呟きが漏れる。

「大兄様は・・・きっと、あなたのお母様が好きだったのよ。」
「え・・・?」
「見ていられなかったわ。あなたのお母様が死んでから、あの明るかった大兄様が・・・見る影もなく
沈み込んでしまって。」
「・・・・・・。」
「だけど、あなたに会って・・・大兄様は、昔のように戻ってくれた。私は、そんな大兄様を見ている
だけで、幸せだった。」
「でも、それは・・・」
「分かってるわ。」

コノの言葉を途中で遮ると、ミンカは立ち上がった。コノに背を向け、周囲の森に向かって手を翳す・・・
すると、たちまち“里”の外周を守っている森の一部が開け、道ができた。


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