WHITE MANE
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コノは両親の顔を見たことがない。
ほんの赤ん坊のとき、山津波に飲み込まれて二人とも死んでしまったと聞かされている。
母親は、村一番の美人だったという。その血を濃く受け継いだせいか、歳を重ねるごとにその美しさは
増すばかり。愁いを帯びた美貌は、十六になった今・・・男女を問わず村人に溜息をつかせるのに充分
だった。
ただ一つの問題は、コノが「男」だったということだ。
山の民は、武芸や勇気を尊ぶ。
山野を駆け、獲物を追い、消えない傷の一つや二つを作るようになって初めて一人前の男と
見做されるのだ。
笛くらいしか取り柄のない自分は、さぞかし皆の目には「半人前」として映っただろう。ましてや、
このような外見なのだ。
表立ってそう言われたことはなかったが、折に触れて自分に向けられる視線・・・そして囁き交わされる
言葉から、それは明らかだった。
そんな中、村が病に襲われた。
高熱に浮かされ、体中に赤い痣のようなものができる病だった。数日後には死者も出始め、村は
大騒ぎになった。
占い師によると、これは山の神の祟りなのだという。そして、その怒りを鎮めるために贄を捧げることが
決まった。コノは、その贄に自ら志願したのだった。
普通であれば、贄には若い娘が捧げられるのが常である。しかし、何の罪もない村の娘たちの中
から、その贄は選ばれることになる。選ばなければならない村長も、選ばれた娘やその家族も・・・
皆辛い想いを味わうことになるのだ。
それならば、と思った。捧げられる贄には、身寄りのない自分が一番適しているはずだ。
コノは、村長が・・・そして、村の皆が好きだった。そして、親のいない自分をここまで育ててくれた恩も
感じていた。
皆がまたいつものように暮らせるようになるのなら、自分の命など惜しくはない。そうだ・・・幼い日に、
本当は自分も両親と共に死ぬはずだった。その命を、今また山に返すだけのことではないか。
何事にも半人前だった自分が、初めて皆の役に立てるのだ。後悔の気持ちは、コノの中には
なかった。
村から一時間ほどの場所にある、古びた社。
祈りを捧げた村の皆が去り、供え物と共に社に一人残されたコノは、胸元から一本の笛を取り出した。
山の民に伝わる竹笛。祭祀の際には村の巫女がこの笛を吹き、神を呼ぶものとされていた。
この笛を吹くことができるのも、今日が最後かも知れない。
巫女装束をまとったコノは、無心で笛を吹き続けた。山の神を呼び寄せ・・・自らの命を捧げるために。
「やあ! いい夜だね!」
不意に声をかけられた。
驚いて振り向いたコノの目に、近くの木の枝に腰掛けた人影が映る。
篝火に照らし出された、大きな耳と二本の角。どう考えても、人間ではあり得ない。とすれば――――
笑顔で陽気に手を振った相手に向かって、コノは慌てて平伏した。
「あ・・・あなたが、山の神さまですか?」
「・・・はい? 神様?」
音もなく、地面に降り立つ気配。自分に近付いてくる相手に向かって、コノは震える声で続けた。
「お・・・おらのことは、好きにしてくれてかまわねえ。・・・だからどうか、村をお救いくだせえ。」
「あのさー・・・とりあえず、顔を上げてくれるかな。」
「・・・?」
出会った瞬間に捕って食われるものとばかり思っていたコノにとって、相手のこの反応は実に意外な
ものであった。
恐る恐る顔を上げたコノの前で、相手はにっこりと笑ってみせた。
「あ、やっと顔を見せてくれたね。」
「は・・・はあ・・・」
「まあ、座りなよ。そんなとこに這いつくばってたんじゃ、できる話もできないだろ?」
「で・・・でも、神さまの前で・・・そんな、おそれ多い・・・」
「いいから。」
再び平伏しようとするのを押し止めた相手は、そのままコノの顔をじっと見つめた。
篝火を反射して、相手の瞳がきらりと光る。しばらくして、その唇から小さな呟きが漏れた。
「やっぱり・・・似てるなあ。」
「あの・・・神さま?」
「いや・・・何でもないよ。うん。」
不思議そうにコノに聞き返され、相手は我に返ったようだった。少し慌てた素振りで手を振ると、
その場に腰を下ろす。
「えーと、まずその“神様”ってのはやめてくれるかな。僕はユスナ。君は?」
「そ・・・そんな、おらの名前なんて・・・」
「教えてくれなきゃ、君の願いも聞いてあげないよ?」
「う・・・」
なぜ、こんなことを訊かれるのだろう。
心の中で首を捻りながらも、コノは小さな声で自らの名前を告げた。
「コ・・・コノと、いいます。」
「コノ。ふーん・・・それで? 僕に何をしろって?」
「なにって・・・その、村の“祟り”を・・・」
「あ、そ。・・・うん、なかなかいい味してるな、これ。」
「あ・・・へえ、ありがとうごぜえます。」
「コノも食べなよ、ずっと笛吹いてて疲れたろ?」
「え・・・あ。」
自分の話を聞いているのかいないのか。下を向いていたコノが再びその顔を上げたとき、この一風
変わった“神様”は、供え物の果物の山を手当たり次第に口に入れているところだった。
放り投げられたバナナを思わず受け取ってしまってから、コノは慌ててそれを相手に差し出した。
「あ、いやっ・・・そんな、め・・・めっそうもねえ! これは神様のための供えもんで・・・」
「ユ・ス・ナ。」
「・・・え?」
「言ったろ、僕の名前。さあ、言ってみて。」
「ユ・・・ユスナさま。」
「様なんて、付けなくていいよ。呼び捨てでいいから。」
「でも・・・そんな・・・」
「呼んでくれないと、・・・祟っちゃうよ?」
「あ・・・う。・・・ユスナ。」
「よろしい。」
ここでまた陽気に笑った相手・・・ユスナと名乗った山の神は、手にしていたバナナの皮を投げ捨てると
コノに向き直った。
「それでさ、コノって言ったよね。君に一つ訊きたいことがあるんだけど・・・」
「はい・・・。なんでごぜえますか?」
「・・・その“祟り”ってのは、一体なんのこと?」
「・・・はあ!?」
まさか、“祟り”の張本人からこんなことを言われることになろうとは。
思わず目を剥いたコノの前で、ユスナは頭を掻くと困ったような笑みを浮かべたのだった。