EARTH BEAT  1                 

EARTH BEAT


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真竜暦紀元前三五五二年、夏。その前線を南大陸中部のアレシュ川にまで進めていた神聖タイラント
帝国の南大陸遠征軍は、思わぬ敵の“逆襲”のために恐慌状態に陥っていた。

「駄目です! とても持ち堪えられません!!」
「何とかしろ!! 相手は、たった数人なんだろ!?」
「将軍もご覧になったでしょう!? あの力は、とても人智の及ぶところではありません!! 
・・・どうか、撤退のご命令を!!」

「やかましい!! そこをどうにかするのが、お前らの役目だろうが!!」

降りしきる雨の中、蒼白な顔色で自らに向かって詰め寄ってきた部下を、遠征軍の総指揮官である
大将軍ウラドは怒鳴り付けた。切迫した遣り取りの間にも、ひっきりなしに轟音が響き、大地が揺れる。
ウラドの位置する本陣から、川を前にした最前線の陣地まではおよそ一リーグ。一帯には、この南大陸
攻略の前線基地として腰を据えるべく、突貫工事ながら堅固な土塁が数多く構築されていた。配置
された兵力は実に五万以上。これだけの兵・・・それも、帝国でも最高の精鋭たちを前に、太刀打ち
できる者はこの未開な南大陸には存在しないはずだった。
襲撃が始まったのは、ほんの一時間ほど前のことだった。それまで穏やかに晴れ渡っていた空が
俄かに掻き曇ったと思うと、強烈な向かい風と土砂降りの雨が帝国軍を襲った。その混乱を
見透かしたかのように、突如現れた僅か十数人の敵兵が、先鋒として配置されていた部隊に
向かって突撃を開始したのだった。
圧倒的な武力だった。どのような手段を用いているのかは判然としなかったが、先鋒を一蹴した敵は、
次いで文字通り土塁を“粉々に吹き飛ばし”始めたのだ。敵兵の進出を阻止しようと挑んだ諸隊は、
その指揮官ごとことごとく壊滅。接近戦もままならず、かと言って遠巻きに して射止めようにも、その
苛烈な天候から頼みの弓矢は全くの無用の長物と化している。・・・打つ手が全く見当たらないのだ。
誰も彼もが、逆上しかけていた。全軍が潰走を始めるのも、時間の問題だった。

(誰だよ!! 竜のことを、野蛮で未開な蛮族だって言ったのは!! 話と全然違うじゃねえか!!)

事実、南大陸への遠征前には、ウラド自身もこの任務をかなり楽観的に捉えていた。
過去の・・・他国の遠征軍がその任を果たせなかったのは、南大陸の気候と兵力の不足、そして
士気の不振のためだったのだと。帝国一の指揮官である自分が、鍛え上げた精鋭を持って侵攻
すれば、彼の地の支配は容易いはずだと・・・信じて疑わなかったのだ。
しかし、実際にこうして顔を合わせた南大陸の住人は、恐ろしいほどの力を持っていた。童話の中
だけの存在だと思っていた、人智を遥かに凌駕する能力。その洗礼をまともに受けたウラドの・・・
タイラント帝国の誇る遠征軍は、まともに戦うこともなく崩壊へと追い込まれつつあった。
とてもではないが、敵う相手ではない。

「くそったれ! 全軍退却!! 死にたくなけりゃ、後ろは振り返るなよ!!」
「しょっ・・・将軍! 宰相殿はいかがされますので!?」
「知るか!! てめえのケツはてめえで拭けって言っとけよ!!」

歯軋りしたウラドは、手にしていた采配を真っ二つに折り捨てた。部下に向かって大声で怒鳴ると、
その場から駒を返し、一散に駆け始める。
ここから、兵站の拠点として砦と船着場を築いたフェザンまでは百リーグ以上の道のりだった。
途中には険しい山岳地帯もあり、一気に駆け抜けるのは不可能な距離だ。しかし、選択の余地は
なかった。
故郷に・・・北大陸に、生きて戻れるかどうか。それは、自分の運次第だ。


  *


地竜のガリアティードは、一人海を眺めていた。
海が、好きだった。
広々と眼前に広がる大海原を眺めていると、心が癒される気がするのだ。だから、戦の後は必ず
こうして、海を眺めることにしている。
何度考えてみても、分からなかった。
自分が真竜族のまとめ役に選ばれたのは、今から五十年以上も前のこと。北大陸から人間族が
攻め寄せるようになってからは、自らが先頭に立って戦いに臨み、そのことごとくを返り討ちにして
きた。自分自身の手で討ち取った敵兵だけでも、優に万を超えるだろう。いつしかその華々しい
戦功から、自分は真竜族の中で「姫将軍」とまで謳われるようになっている。
それなのに、何故。間違いなく敵わないと分かっていて、何故人間たちはこの地を、ひたすらに
目指そうとするのだろうか。
それは単に、経験から学ぶことのできない愚かさ故か。それとも、何か止むに止まれぬ切実な理由が
あってのことなのか。・・・どちらにしても、南大陸の住人である自分には、人間たちの事情など窺い
知れようはずもない。

「将軍!」

背後からの呼び声に、ガリアティードは我に返った。駆け寄ってきた部下が、その眼前に膝をつく。

「どうした。」
「生存者を発見いたしました。敵の築いた土塁が崩れ、その内部に生き埋めになっておりました。」
「だからどうした。敵兵には、確実に止めを刺しておけ。」
「それが、どうやら兵ではない者が混ざっているようなのです。」
「何だと?」

この地を訪れる人間族は、間違いなく兵だけだった。鎧に身を固め、剣や槍を初めとした武器を帯びた
男たち。報告が事実なら、その範疇に収まらない人間が初めてこの地に現れたことになる。

「まだ、息はあるようですが・・・。放っておけば、時間の問題でしょう。」
「・・・・・・。」
「いかがいたしましょうか。」

地面の上に横たえられていたのは、まだ若い男だった。精悍そうな顔に、上等の衣服。確かに武器の
類は帯びていなかったが、かと言って奴隷や従者の類とは考えにくい。
ガリアティードの無言を承諾と受け取ったらしい部下が、その首を落とそうと進み出た。

「止せ。」
「は・・・。」
「こ奴は、わたしが捕虜として宮殿に連れ帰る。彼奴らのことを知る、良い機会であろう。」
「・・・心得ました。」

頭を下げた部下に向かって、ガリアティードは軽く頷いた。次いで、生き残りの人間たちが逃走して
いった西の方角に鋭い一瞥をくれる。

「後始末が終わり次第、竜都へ帰還する。もう、ここに留まる理由はないからな。」


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