EARTH BEAT      3             

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こうして、ティエンの南大陸での生活が始まった。
覚悟していたように、牢に繋がれたり拷問にかけられたり・・・ということはなかった。ティエンには
ガリアティードの屋敷―――――通称「別邸」の一室が与えられ、日中はそこから外へと出ることは
自由だった。それどころか、“宮殿”と呼ばれる竜たちの城の中を歩き回ることも許されていた。
北大陸では目にしたこともない、宏大な城郭だった。城壁は東西南北に向けてほぼ正確な正方形を
描いており、その一辺の長さは実に一リーグにも及ぶ。傷が癒えてからの数日、城内を隈なく歩き
回ったティエンは、その規模の大きさに圧倒されたものだった。
別邸から程近い場所には、この“宮殿”の中心である「本殿」と呼ばれる建物があった。この国の
要人が集まり、会議が行われているという二階への立ち入りは流石に拒まれたが、その内部を
散策するうち、ティエンはその一角に書庫があることを発見した。半信半疑ながらガリアティードに
立ち入りの許可を求めると、以外にも二つ返事での承諾を得ることができた。それ以後は、一日の
大半を書庫で過ごす日々が続いている。

「今日も、書庫へ行ってくる。」
「はい。お気を付けて。」
「・・・・・・。」

ティエンの周囲には、常に二人の人物がいた。
一人は、招かれざる客であるティエンの身の周りの世話をする、ユーカトリアという名の竜。医師の
役目も負っているらしく、ガリアティードに手荒に扱われた際の傷の手当をしてくれたのも彼女だった。
そのユーカトリアに見送られ、この日もティエンは本殿へと向かった。道すがら、ちらりと後ろを振り向き
ながら言う。

「おい。・・・いい加減、名前くらい教えたらどうだ。」
「・・・・・・。」

そして、もう一人。こちらはティエンと口を利こうともしないため、名前すら分からない。
燃えるような紅の短髪に、若草色の瞳。腰には蝶の装飾の施された細剣を携えた、こちらも女の竜で
ある。ティエンの行くところ、どこへでも黙ってついてくる。
その身のこなしやまとっている雰囲気は、武術については疎いティエンにとっても、明らかにその
心得があると分かるものだった。恐らく、護衛と監視としての役目を与えられているのだろう。

「・・・・・・。」

書庫に辿り着いたティエンは、書架から目当ての本を手に取ると、黙って傍らの椅子に腰を下ろした。
南大陸の地理。この地に住まう竜たちの暮らしと歴史。・・・知りたいことは、幾らでもあった。
時々、ふと思うことがある。
もし、自分がこの地を探りに来た間者だったら、何とするのだろうか。
こうして必要な情報を集めた後、北大陸へと帰還する。・・・人間たちに自らの弱点を知られてしまう
ことを、竜たちは恐れていないというのだろうか。

(・・・・・・)

束の間、手元の本から目を上げていたティエンは、ここで小さく首を振った。
初対面時にガリアティードに告げられたように、ここから自力で脱出するのはほぼ不可能だった。
無論、ここに連れてこられた当初は本気で脱走を考えたこともあった。しかし今は、更に南大陸に
ついての知識を深めたい・・・という気持ちが勝っている。
連日の読書の甲斐あって、今まで北大陸では言い伝えの域を出なかった竜についても、色々と詳しい
ことが分かってきた。
種族は、全部で七つ。それぞれが独特の髪や瞳の色を具え、着ている服もそれぞれの民族の特徴が
出ている。そして、それを取りまとめているのが地竜であるガリアティードだった。
自らの属していた遠征軍が完膚無きまでに撃退されてから後、祖国からの侵攻は止んでいるらしく、
人々の口の端にその話題が上ることはない。

「ここのところ、熱心ですね。今日も借りられるんですか?」
「あ・・・ああ。これを頼む。」
「はい、ありがとうございます。・・・全く、もう少し宮廷の方々も本に興味を持ってくださったら、ここの
管理もやり甲斐があるんですけどねえ。」

書庫の管理をしている地竜が、笑顔で言った。帯出の手続きの終わった本を受け取ったティエンは、
無言で頭を下げると廊下へと出ていった。
この地に住む竜たちは、驚くほど人間に対して寛容だった。囚われの身であり、憎き敵であるはずの
ティエンにも人懐こく接してくる。それは、ティエン自身が信じられないほどだった。

(・・・・・・)

手近な扉を潜り、本殿の外へと出る。季節は晩夏であり、辺りは蝉の声でうるさいくらいだった。天頂
近くに懸かる太陽をちらりと見上げたティエンは、借り受けた本を抱え直すと、ゆっくりと別邸に
向かって歩き出した。
歩きながら考えることは、いつも同じだった。自分たち人間と、竜たちとの違いはどこにあるのか。
その最たるものは、やはり日常何気なく遣われる“術”の数々ということになるのだろうか。火を熾し、
水を喚び、風に乗る。種族によりその効能は様々だったが、まさに魔法とでも言うべき奇跡の業の
数々に、ティエンは目を見張ったものだった。
ならば、この地に兵らしき者の姿がほとんど見られないことも頷ける。強大な竜術の力を持って
すれば、誰もが一騎当千の将になれるのだ。しかし、この地に暮らす竜たちのほとんどは、自らの
持つ力を戦に遣おうとは思っていない。・・・真の“平和”が、ここにはあるのだ。
ティエンの故郷であるタイラントでは、とても考えられないことだった。
成人男子ともなればその全てに軍役が課され、大きな戦があればいつ家が断絶するか分からない。
その殺伐とした雰囲気が、ここにはない。
そして、王。

「王? 何だそれは。」

午後になると、二日に一度の割合でガリアティードがティエンの居室を訪ねてくる。そして、夕食までの
時間を共に語り合いながら過ごすのだ。
“人間について知りたい”と言っていた割には、ガリアティードは無理に人間について尋ねようとは
しなかった。自らの・・・そして、ティエンの興味を示した対象について、当たり障りのない会話を交わす
だけである。
このときのガリアティードはとても穏やかで、時には別人のような稚気を見せることもあった。そう
すると、大きめの眼鏡や結わえられた後ろ髪と相まって、そこには年相応の少女が顔を覗かせる。
初めて会ったときのことを考えると、嘘のような差だった。
それは、峻厳な軍人としての仮面を被っている必要がないからなのか。

「王とは・・・国を治める者のことだ。」
「国・・・とは?」
「まさか、国もないとは言わせないぞ。お前は、誰のために戦っている? 国の、民のためでは
ないのか?」
「おお・・・そういう意味か。ではそれは、里と似たようなものなのだな。」

驚いたことに、竜たちに“国”という概念はなかった。この地に住んでいる。ただ、それだけで良しと
する。それは、広大で肥沃な領土に恵まれているからかも知れなかった。
書庫で見た、世界の地図。それによると、この南大陸の広さは北大陸の数倍にも及ぶ。そして、
そのうちの半分以上をこの竜たちが支配しているというのだ。
あれだけの力を持ちながら、何故その領土を広げようと思わないのか。浮かんだ素朴な疑問を、
ティエンはガリアティードにぶつけてみた。

「北へ、侵攻しようとは思わないのか? それだけの力は、あるだろうに。」
「侵攻? 一体、何の為にだ。」
「何とは・・・。領土が広がれば、国は富み、民の暮らしも豊かになるではないか?」
「生憎、我等は今の生活に満足していてな。無論、他から攻められれば打ち払う。しかし、隣人と諍いを
起こしてまで領土を拡げようとは思っておらぬよ。」
「・・・・・・。」

夕食を知らせる鐘に、ガリアティードは立ち上がった。

「お前との会話は、非常に興味深い。今日もまた、妾は新しいことを学んだ、という訳だな。」

こうして、一日が暮れていくのだった。そこには、戦に怯える民の姿も荒れ果てた田畑もない。
ティエンが思い描いていた“理想郷”の姿が、ここにはあるのだった。


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