EARTH BEAT                  9 

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水竜術の助けを借りてアレシュ川の水面を歩いて渡り、対岸に降り立つ。ただ一人現れた自分に
対してざわめく敵陣に向かって、ティエンは声を張り上げた。

「私は、ティエン・イズルード! 神聖タイラント帝国の宰相である! この遠征軍の指揮官と
話がしたい!!」


その言葉が終わるや否や、敵陣からただ一騎駆け出してきた相手がいた。その姿を認めたティエンは
驚きに目を瞠った。

「おい、ティエンじゃないか!!」
「ロンクー! お前だったのか!」

馬からひらりと飛び降りたロンクーとティエンは、束の間しっかりと抱き合った。
二人は、旗揚げ当時からの知り合いだった。郷里が同じエガディ州であり、それが縁でティエンを軍に
誘ったのがロンクーだったのだ。それ以来、二人は親友として戦場を共に駆け巡る生活を送ってきた。

「お前、去年の遠征じゃ先鋒にいたんだろ? よくもまあ、無事だったな! こんなところで会えるとは
思ってなかったよ。」
「ふっ。運がいいのか悪いのか・・・相変わらずこうして、生き恥を晒している。」

思わぬ邂逅に相好を崩していたティエンの表情が、ここですっと引き締まった。

「ところで、大事な話がある。他でもない、今回の遠征についてだ。」
「それは、多分お前の想像通りだよ。目的は、相変わらずの南大陸の支配と、不老不死の霊薬。まあ、
後のは首尾よく南大陸を手に入れられたらの話になるだろうけど―――――」
「悪いことは言わん。直ぐに、ここから引き返せ。」
「おいおい・・・いきなりだな、ティエン。」
「前回の遠征軍の顛末は、帝都にも伝わっているんだろう? 竜の力は決して侮れん。彼らが本気に
なったら、十万や二十万の人間などあっという間に皆殺しだ。いや、下手をするとそのまま、北大陸
まで攻め込まれる可能性もあるんだぞ!」
「・・・・・・。」
「幸いにも、今の竜たちの指導者は北への侵攻の意思を持っていない。どう足掻いても勝ち目のない、
こんな戦をする意味はどこにもないだろう。彼らをこれ以上怒らせないうちに、北へ帰った方がいい。」
「・・・・・・。そうだな。それは、確かにお前の言う通りなんだろう。」
「ロンクー・・・。分かって、くれたか。」

微笑んだティエンが相手に向かって歩み寄るのと、話の途中から俯いていたロンクーがその剣で
ティエンに袈裟懸けに斬り付けたのは、ほぼ同時だった。
見る間に鮮血に染まった左肩を押さえ、よろめいたティエンは呆然とロンクーを見つめた。

「ロンクー・・・どうしてなんだ・・・?」
「お前には、悪いと思ってる。・・・けどな、お前が戦を止めろと言う以上、俺はお前を斬らなきゃ
ならん。」
「しかしだな! まさか、本気で勝てると思っているのでは―――――」
「仕方ないんだよ! 俺だって、帝都に家族を残してきてるんだ。・・・後戻りは、許されないんだよ!」
「・・・・・・。まさか―――――」
「そうだ。昨年の遠征軍の失敗を陛下に咎められて、大将軍だったウラド様はその一族共々処断
された。もちろん、不老不死の霊薬を手に入れられなかったお前も同罪とされたんだ。・・・俺の
言いたいことが、わかるよな?」
「しかし・・・そんな・・・」
「わかってくれ。・・・お前みたいには、なりたくないんだよ!」

(アイシャ・・・!)

ロンクーの言葉の途中から蒼白になっていたティエンは、ここで地面に膝をついた。
ガリアティードに言われるまでもなく、ティエン自身も自らの南大陸行きには少なからぬ疑問を持って
いた。こうして南大陸で消息を絶った自分の存在が、既に北大陸で消されてしまっている・・・という
可能性を考えなかった訳でもない。

(何という・・・何という仕打ちを・・・ッ!!)

信じたかったのだ。生涯の主君と仰いだイレクラストを・・・そして、自らが作り上げた国の人々を。
しかし、その一途な想いは届かなかった。
地面に座り込むような格好になったティエンの膝に、涙の雫が零れ落ちていく。項垂れたまま肩を
震わせていたティエンの首筋に、ロンクーの剣が当てられた。

「すまない。・・・お前の首を、取らせてもらうぞ。」
「・・・・・・。そうだな・・・。竜に投降した裏切り者を仕留めたとなれば、陛下の覚えも良くなろう。」
「いや、俺は・・・別に、そんなつもりじゃ―――――」
「さあ、やれッ!」

自らが治世の根本として定めた“法”。それは、“人を信じるな”という前提に基づいて作られたものだ。
そして今、自分は信じた祖国に裏切られようとしている。考えてみれば、これが自分に相応しい末路
なのかも知れない。
ティエンの声にびくりと身を竦ませたロンクーが、気を取り直したように剣を構え直した。それが
振り下ろされようとした刹那、裂帛の気合を込めた声がその場に響き渡る。

「痴れ者がッ!!」

声の主は、ガリアティードだった。自慢の大剣の一振りで、ロンクーとその愛馬が真っ二つになる。

「・・・この男は、返して貰うぞ。」

その場に跪いたままだったティエンが、のろのろと顔を上げる。そこには、自らのことを睨み付ける
ようにして仁王立ちをしているガリアティードの姿があった。

「ティエンよ。お前に、最後の機会を与えよう。」
「・・・?」
「どちらかを、選ぶのだ。・・・我等の許へ戻るのか、これだけの仕打ちを受けてなお、人間たちの許へ
戻るというのか。二つに一つだ。」
「・・・・・・。」

頬を伝う涙を拭おうともせず、ティエンはガリアティードを見上げた。飛来した矢が、ガリアティードの
右目に深々と突き刺さったのは、このときだった。

「ぐううッ!!」
「ガリアティード!!」
「バカヤロウ! こんなところで、チンタラやってんじゃねーよ! オイ、大急ぎでユーカのヤツを
呼べっ!」

「はい!」
「―――――ッ!!」

空かさず、シークエルを初めとする面々が二人の周囲を固める。その場に片膝をつきながらも、
ガリアティードはティエンから目を逸らさなかった。力任せに矢を右目から引き抜き、鮮血を眼窩から
滴らせながら、一言一言搾り出すようにして言う。

「さあ・・・選べッ!! ティエンよ!!」
「・・・・・・。」

答えは、初めから決まっていた。
最愛の妻は、もうこの世にいない。そもそもこの南大陸行きが、尊敬し信頼していた皇帝の陰謀による
ものと判った以上・・・北大陸にティエンを縛るものは何一つなかった。

「分かった。・・・私は、この地に骨を埋めよう。」
「良かろう・・・。・・・しかと、聞き届けたぞ!!」

ティエンが微かに頷くのと、周囲を取り囲んでいた帝国軍が突撃を開始するのはほぼ同時だった。
辛うじて微笑を浮かべたガリアティードが、最後の力を振り絞るようにして大声で叫んだ。

「・・・皆の者、やれッ!! 一兵たりとも、残してはならぬ!!」
『おおおっ!!』

ガリアティードの号令一下、武器を携えた部下たちが敵の大軍に向かって駆け出していった。周囲で
怒号と悲鳴が交錯し、見る間に凄惨な虐殺が始まる。・・・帝国軍が踵を返して潰走を始めるまでには、
一時間とかからなかった。


  ***


ここに、歴史上最多の戦死者を出したアレシュ川の戦いは終わりを告げた。
僅か数人の死者しか出さなかった真竜族側に対し、人間族側の死者は三万とも五万とも言われる。
従軍した十万以上の兵のうち、無事に北大陸に帰還することができたのは僅か一割程度だった。
この結果を受け、以後神聖タイラント帝国は南大陸への派兵を断念。再び人間の遠征軍が南大陸の
地を踏むのは、実にその四百年以上の後。次代の統一国家として成立したアルバ帝国によるものまで
待たなければならなかった。
南大陸に留まることを選んだティエンは終生ガリアティードと共に在り、竜術の研究にその一生を
捧げたと伝えられている。その過程で、彼の手によって術を会得することができた竜たちによって、
小規模ながら国防のための“軍”が初めて組織された。そして、その力を背景にしたガリアティードの
手によって、少しずつ真竜族の国家の枠組みが整えられていくことになった。
人間と竜との、長い長い交わりの歴史。その第一歩は、こうして始まったのである。


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